聖書に記されたイスラエルの例祭には、神の人類救済計画が啓示されています。
この記事では、黙示録の7つのラッパが教えている終末の出来事について、聖書の秋の例祭である「角笛を吹き鳴らす日」、その日から始まる悔い改めの10日間、そして「大贖罪日」から考察します。また、コリント人への手紙Ⅰに記されている「終わりのラッパ」と「大贖罪日」の関係についても考えます。
1.イスラエルの秋の例祭に啓示されている終末の出来事
主が永遠の掟として守るようにイスラエルに命じられた春と秋の例祭には、メシアと人類救済のシナリオが啓示されています。
春の例祭はイエス・キリストの初臨時の出来事を予表していました。
・過ぎ越しの祭り:神の子羊キリストの死と血によって罪が贖われ、悪魔の支配から救い出される。
・初穂の祭り:キリストは人類の初穂として死からよみがえられた。キリストを信じる者も、やがて朽ちない栄光のからだによみがえる。
・種なしパンの祭り:種(罪)の無いキリストのいのちで贖われた者は、種の無い義人とされて生きる。
・五旬節の祭り(律法授与を記念する祭り):聖霊降臨。聖霊は、キリストを信じる民の心に記された神の国の律法であり、神の国を受け継ぐ保障。
イスラエル民族はエジプトの奴隷から救出され、律法を与えられて神の選民とされ、約束の地を目指しました。そのように、キリストの血によって罪と悪魔の奴隷から贖い出された者は、聖霊が与えられて神の国の民とされ、御言葉と御霊に導かれて永遠の神の国を目指します。
秋の例祭は終末とキリスト再臨について予表しています。
・第7の月(ティシュリ)の1日には角笛を吹き鳴らし、裁きの日が近いことを警告し、神との関係を正すように呼びかけます。この日から10日間は1年で最も厳粛な時であり、人々は特に神を畏れ、特別な悔い改めの期間(畏怖の10日間)を過ごします。
⇒預言的に、世の終わりの裁きを警告しています。7年間の艱難時代は、世の終わりに生きているすべての人々に悔い改めを促す期間であると考えられます。
・第7の月10日は大贖罪日、悔い改め期間が満了し、罪が贖われて赦しが与えられる日です。神殿時代には、大祭司が1年に1度だけ血を携えて至聖所に入り、国民のために贖いをしました。
現代イスラエルでは、大贖罪日は、前年1年間の個人の罪と民族の罪が赦されたか赦されなかったか、いのちの書に名前が残されたか残されなかったかが決まる判決の日とされています。1日中角笛が吹き鳴らされ、全国的に一切の仕事を中止し、交通機関も止まり、大多数の人々は断食して会堂で祈ります。そしてその日の終わりには、贖罪の完了を告げる角笛がひときわ長く吹き鳴らされます。
⇒預言的には、永遠の御国を相続する者が選び分けられ、罪人たちが滅ぼされる主の御怒りの日の到来を啓示していると考えられます。
・第7の月の15日から8日間続く仮庵の祭りは、大贖罪日に罪が贖われたことを喜び、新しい1年の祝福を期待する祭りです。
⇒預言的には、主の日の裁きをくぐり抜けた義人が神の国に入り、約束されていた永遠の祝福を受け取ることを予表していると考えられます。
春の祭りに啓示されていた計画――人類の罪を取り除き、永遠のいのちを与え、永遠の神の国に導き入れるためのキリストの血による贖い――は既に成就しました。
秋の祭りはこれから世の終わりにかけて必ず起こる事を啓示しています。そして、メシアが来られて審判が下されること、一人一人に永遠のいのちか永遠の滅びかの報いが与えられることを警告し、悔い改めて神に立ち返り、神の国実現を待ち望むようにと呼びかけているのです。
2.角笛を吹き鳴らすことと黙示録の7つのラッパ :悔い改めを促す警告のラッパ
黙示録の7つのラッパは、秋の例祭で角笛を吹き鳴らすことと関係していると考えられます。
現代イスラエルには、宗教暦(春の第1の月から始まる)と、民間歴(秋の第7の月から始まる)があります。
・宗教暦では、聖書に教えられている通りに、過ぎ越しの祭りを中心に、イスラエル民族がエジプトの奴隷から解放されて神の民となったことを感謝しつつ、新年を迎えます。
・秋に新年を祝う民間歴は、バビロン捕囚後に離散先の異邦諸国の習慣を取り入れたものです。
角笛を吹き鳴らすことには、「警告する」「戦いを布告する」「王を歓迎する」という目的があります。
聖書的には、第7の月の1日に角笛を吹き鳴らすのは、神の裁きが近いことを警告し、悔い改めを促すためです。「新年おめでとう」ではなく、再臨される主を喜んでお迎えし、神の国を受け継ぐことができるように、「自分自身を吟味し、罪を悔い改めなさい」と呼びかけているのです。
もし悔い改めず、神に反逆し続けるなら、天から下って来られた主によって滅ぼされてしまいます(黙示録19:11~21)。イエス様はたとえ話で、ご自分が王として戻って来た時、忠実な者には報酬を与え、ご自分が王になるのを望まなかった敵を殺されると教えています(ルカ19:12~27)。
警告の角笛は、この日1日ではなく、大贖罪日までの10日間も毎日吹き鳴らされ、そして大贖罪日には1日中、町のあちらこちらで吹き鳴らされます。
裁きの日が近づいたことを警告し、悔い改めを促すためにラッパ(角笛)が吹き鳴らされることを前提に、黙示録に預言されている7つのラッパの出来事を読み解いていきましょう。出エジプト記でエジプトに下された災いと比較すると分かりやすいかもしれません。
① 第1~第4のラッパ:天から降る大災害、天体の大異変を通しての警告
黙示録8~9章では7人の御使いによって7つのラッパが吹き鳴らされます。それぞれのラッパが吹き鳴らされる時、地上にどんな出来事が起こるでしょうか。
・第一のラッパ・・・血の混じった雹と火が地上に投げ込まれ、地の三分の一、木々の三分の一が焼かれた。
・第二のラッパ・・・火の燃える大きな山のようなものが海に投げ込まれ、海の三分の一が血になった。海の生き物の三分の一が死に、船の三分の一が壊された。
・第三のラッパ・・・「にがよもぎ」と呼ばれるたいまつのように燃えている大きな星が、天から川々の三分の一と水源に落ちた。水がにがくなり、多くの人が死んだ。
・第四のラッパ・・・太陽・月・星の三分の一が打たれ、暗くなった。昼の三分の一は光を失った。
ラッパが吹き鳴らされるたび、自然界に大災害が起こり、天にも異変が起こります。地の産物にも海洋資源にも大きな被害が出て、食料難が進み、飲料水にも困るようになります。
これらの災害や異変によって、偽りの神々や偶像を拝む人々、神など存在しないと侮る人々は、世界を創り、自然界を支配し、裁く権威を持っておられる真の神に心を向け、助けを求めるようになるかもしれません。神は、世の終わりが近いことを警告し、ご自分を求めさせるために、このような恐ろしい出来事が起こることを許されるのでしょう。
出エジプト記を見ると、イスラエルを奴隷から解放することを拒否するファラオに対し、主はモーセを遣わして災いを起こすと警告されました。ナイル川や水路や池の水が血に変わって飲み水がなくなり、ファラオはモーセにとりなしを求めました。
しかし災いが過ぎって一息つけるようになると、彼は再び心を頑なにし、約束を撤回してイスラエルを束縛し続けます。ファラオが悔い改めないため、その後も、エジプトは蛙、ブヨ、アブの大量発生で被害を受けます。
主は人々を悔い改めに導いて神に立ち返らせるために、自然災害や天災を用いられます。4つのラッパの出来事も、真の神から離れ、悪行や偶像礼拝を続ける人々に対し、悔い改めを促すために起こされると考えられます。
② 第5、第6のラッパ:悪魔の支配下から真の神に立ち返らせるため
第5、第6の御使いによってさらに2つのラッパが吹き鳴らされると、見たことも聞いたこともない異様な恐ろしい生き物たちが現れ、人々を襲います(黙示録9章)。
・第五のラッパ(第一の災い)・・・一つの星が天から地に落ち、底知れぬ所に通じる穴が開かれ、穴から出た煙で太陽が暗くなった。煙から異様な姿のいなごが出て来た。いなごの姿は馬に似ており、人間のような顔をして、金の冠のようなものをかぶり、女の髪のような毛と獅子の歯のような歯があった。そしてサソリのような尾と針で、額に神の印を押されていない人々に害を与え、五か月間苦しめた。
そのいなごたちの王の名はヘブル語でアバドン(破壊)、ギリシャ語でアポリュオン(破壊者)です。
出エジプト記では、ファラオは4つの災いを体験した後でも、主の命令を聞き入れようとせず、頑なに拒み続けたので、今度はエジプトの家畜に疫病がおこり、さらに膿みの出る腫物がエジプト人と家畜を苦しめます。蛙やアブやブヨやいなごも、疫病も腫物も、イスラエル民族と彼らの家畜や居住地には害を与えず、エジプトだけに被害をもたらしました。
同じように、底知れぬ所から出て来るいなごは、神の印を押されている人々には害を与えないことを知って、人々は聖書の神が偉大な主権者であることを知るようになるかもしれません。
・第六のラッパ(第二の災い)・・・ユーフラテス川のほとりにつながれていた四人の御使いが人間の三分の一を殺すために解き放たれ、二億の騎兵が人々を襲う。獅子のような頭をした馬の口から出る火と煙と硫黄によって、人類の三分の一が殺された。馬の尾にも頭があり、害を与えた。
4人の御使いは解き放たれると2億の騎兵を率いて人間を殺戮させます。それはおそらく悪魔に従った堕天使たちで、その時まで活動できないように縛られていたのでしょう。神は、人々を偽りの神々から離れさせ、真の神を求めさせるために4人の御使いを放ち、人間に危害を加えることをあえて許されるのでしょう。けれども生き残った人々は悪霊どもや偶像を拝み続け、殺人、魔術、淫行、盗みを悔い改めません。
出エジプト記では、激しい雷と雹、いなごによる被害、三日間の暗闇と、次々と創造主なる神から災いが下されます。それでも反抗し続けるファラオは、長子の死という10番目の災いが下された後で、やっと神の権威と主権を認め、全イスラエルをエジプトから出発させました。しかしイスラエルがエジプトを出て行くと、ファラオは心変わりして、軍隊を率いてイスラエルを追いかけます。
③ ヨエルの終末預言と黙示録のラッパの関係
預言者ヨエルは、天体の大異変と神が送るいなごの軍隊について預言しました。それは、先祖たちの時代から今に至るまで体験したことのないような(1:2)恐ろしい出来事についての預言、全能者による破壊の日(1:15)についての預言です。ヨエルは、神が堕落した人類を悔い改めさせるためにもたらされる終末時代の災いのことを預言していたと思われます。
ヨエル2:30~31
わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
ヨエルが語った「天と地のしるし」「血と火と煙の柱」「太陽と月の異変」は、黙示録の6つのラッパがもたらす災いを指すのかもしれません。
第1のラッパが吹き鳴らされると血の混じった雹と火で地が焼かれ、
第2のラッパが吹き鳴らされると火の燃える大きな山によって海が血になり、
第3のラッパが吹き鳴らされると、たいまつのように燃える星(=火)が水を苦くし、
第4のラッパが吹き鳴らされると太陽・月・星の三分の一が暗くなります。
第5のラッパが吹き鳴らされると、底知れぬ所の穴が開かれ、煙が立ち上って太陽が暗くなり、いなごが人々を苦しめます。
第6のラッパが吹き鳴らされると、馬の口から出る火と煙と硫黄で人類の三分の一が殺されます。
ヨエルは、主の大いなる恐るべき日が来る前に起こる事を預言しました。黙示録の6つのラッパは、主が御怒りをもって世界を裁かれる日の前に起こる出来事なので、同じ出来事についての預言であると思われます。ヨエルは、全国民に断食をしてきよめの集会を開いて悔い改め、主の日に備えるように呼びかけました(参照:ヨエルの終末預言①)。
ヨエル2:32 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。
ヨエルは、このような災いが起こったなら、その苦難の中で悔い改め、イエスの御名を信じ、呼び求めて救われるようにと、後の時代の人々に警告していたのかもしれません。
④ 第7のラッパが響くと、神の奥儀が実現する
6つのラッパの災いが起こった後、一人の強い御使いが雲に包まれて天から降って来ます。頭上には虹があり、太陽のような顔、火の柱のような足をしている(黙示録10:1)という描写から、この御使いはイエス様であると思われます。
その方は、右足を海の上、左足を地の上に置いて大声で叫び、右手を天に上げ、天地とすべての生き物を作られた神に誓って宣言されます。
黙示録10:6~7
・・・「もはや時は残されておらず、第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。
第7のラッパが鳴り響くその日、預言者たちによって告げられた神の奥儀が実現します。それは、世の始まる前から神が立てられていたご計画、悪魔によって妨害されていたご計画の完全な実現です。
黙示録11:15
第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」
アダムが悪魔から奪われた世界の支配権を、人となった神の子が奪い返し、神が王となって支配する完全な御国が到来します。罪と死に打ち勝った神の民が、神と共に治める世界が実現します。そのための準備として、御子が十字架で死なれ、人類の罪を取り除いてくださったのでした。天に起こった大きな声は、よみがえって携挙された人々の声かもしれません。
角笛は、警告だけでなく、王を歓迎するためにも、戦争の開始を宣言するためにも吹き鳴らされます。
・第7のラッパは、キリストが王として治める新しい時代が到来したことを宣言しています。悪魔の支配が終了し、神が治める正義と平和と祝福に満ちた神の国が始まるのです。そのためにイエス様が地上に王として戻って来られるのです。
・そしてこのラッパは、悪魔とその配下にある者たちに宣戦布告するためにも吹き鳴らされたのです。
黙示録11:16~18
すると、神の御前で自分たちの座に着いていた二十四人の長老たちが、ひれ伏し、神を礼拝して言った。「私たちはあなたに感謝します。今おられ、昔おられた全能者、神である主よ。あなたは偉大な力を働かせて、王となられました。諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りが来ました。死者がさばかれる時、あなたのしもべである預言者たちと聖徒たち、御名を恐れる者たち、小さい者にも大きい者にも報いが与えられる時、地を滅ぼす者たちが滅ぼされる時です。」
第7のラッパが吹き鳴らされると、王に就任されたキリストによって死者が裁かれる時が来ます。それは、神を敬い、御名を恐れる者たちにとっては、朽ちない栄光のからだが与えられて永遠のいのちが実現し、永遠の神の国を相続させていただく時です。一方、悔い改めなかった罪人たち、神の被造世界を破壊してきた者たちにとっては、神の御怒りによって滅ぼされてしまう時なのです。
3.第7のラッパと大贖罪日の「終わりのラッパ」
① 世の終わりの判決を告げ知らせる「終わりのラッパ」
旧約時代の大贖罪日には2匹の山羊が選ばれました。1匹の山羊は民族全体の罪の身代わりに殺され、大祭司がその血を携えて至聖所に入り、国民を代表して贖罪を行います。大祭司が贖いを成し遂げて出てきたら、もう1匹の「アザゼルの山羊」にイスラエル民族全ての罪を背負わせて荒野に追いやります。すると、罪が赦されたしるしとして、殺された山羊の血で染めた布が真っ白に変わっていたそうです。
大祭司が何らかの理由で神に打たれて死ぬと、贖いは完了せず、国民全体の罪が残ります。民衆は大祭司のとりなしが成功し、イスラエルの罪が赦され、その後の1年間が祝福されるよう、祈りながら待ち望みました。大祭司も、大贖罪日の2匹の山羊も、イエス・キリストを予表していました。
新約時代のクリスチャンは、大祭司であり神の子羊でもあるキリストの血によって完全な罪の贖いが成し遂げられたことを信じ、受け入れたので、もう動物犠牲を捧げる必要はありません。でもイエス様をメシアと認めないユダヤ人たちは今でも毎年、神の裁きを恐れつつ、断食して自らを戒め、悔い改めながら贖罪の日に臨みます。
旧約聖書の時代から今日まで、イスラエルでは大贖罪日には頻繁に角笛が吹き鳴らされ、民は自分の罪を告白して真剣に神に祈ります。そしていのちの書に名前が残されることを願いながら、贖いの完了を告げ知らせる最後の角笛が長く吹き鳴らされる時を待つのです。
大贖罪日に大祭司がイスラエル民族全体の罪の贖いを成し遂げ、贖いが終了したことを知らせるために、最後に長く吹き鳴らされる合図の角笛が「終わりのラッパ」であると考えられます。
Ⅰコリント15:51∼52
・・・私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
パウロが言及している「終わりのラッパ」は、大艱難時代の終わりに悔い改め期間が満了し、救いか滅びか、神の判定が確定したことを示すために天で吹き鳴らされる最終的な「神のラッパ」であると思われます。最後に長く「終わりのラッパ」が吹き鳴らされると、義とされた人々は死んでいてもよみがえり、朽ちない栄光のからだが与えられて救いが完成すると考えられます。
② ラッパの響きと主の現れと聖徒たちの携挙
イエス様は、天の雲に乗って現れ、大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わし、選びの民を集めさせると言われました。
マタイ24:29~31
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、 天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
主の来臨は、神を拒絶してきた人々にとって裁きを意味するため、彼らは主を見て悲しみます。一方、選びの民にとっては神の約束が実現する喜びの日です。
Ⅰテサロニケ4:16~17
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
終わりのラッパが鳴ると、旧約時代にキリストを待ち望んでいた義人たちと、イエス・キリストの血によって贖われた新約時代の義人たちは、死んでいてもよみがえり、生きているなら不死の栄光のからだに変えられ、救いが完成します。そして永遠のいのちが実現した神の子たちは、永遠の御国を相続するために主のもとに引き揚げられるでしょう。
しかし地上に残された罪人たち、神を信じない者、神に逆らう者、キリストの贖いを拒否した者たちには、さらに恐ろしい第3の災いが待っています。7つの鉢から神の御怒りが注がれるのです。そして、それらによっても悔い改めず、王の来臨と統治を阻止しようと集結する罪人たちは、最終的に主によって滅ぼされてしまいます。
イエス様が天の雲に乗って降って来られ、終わりのラッパが吹き鳴らされると、義人がよみがえり、永遠のいのちが実現して主のもとに集められます。それは黙示録の第7のラッパが吹き鳴らされる時の出来事であると考えられます。そしてそれは、この時代の最後の大贖罪日に起こるのかもしれません。
義とされ、永遠の神の国に迎え入れられるために、すべての人は罪を悔い改めて真の神に立ち返り、神の国の王であるイエス・キリストとの関係を正さなければなりません。そのために、罪深い人間は艱難を通らされ、自分自身を吟味し、生き方や人間関係を正すようになります。私たちは試練を通ることで、永遠の世界で神と共に生きるに相応しい者として造り変えられていくのです。
次回は、終わりのラッパが鳴り響く時に起こること、携挙と罪人の裁きについて、さらに詳しく見ていきます。
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