前の記事では、黙示録の7つのラッパについて、イスラエルの秋の例祭と出エジプト記を参考に考察しました。例祭期間中、角笛を吹き鳴らして大贖罪日が近いと警告し、悔い改めを促すように、艱難時代においては、7つのラッパによって起こる災害が、神の審判の日が近いことを警告するでしょう。そして第7のラッパが吹き鳴らされると、悔い改めて罪を贖われた人々は携挙され、悔い改めない人々には神の憤りの満ちた7つの鉢の災いが注がれると考えられます。
この記事では、第7のラッパが鳴り響く時に起こること――7つの鉢の出来事、主の現れ、御怒りの大いなる日の出来事――について、レビ記と民数記の例祭についての教え、黙示録、旧約の預言書から学びます。
1.世の終わりとキリスト再臨、神の国到来を啓示する秋の例祭
秋の祭りについての詳細はレビ記16章と23章、民数記29章に規定されています。イスラエルの祭りは「来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります(コロサイ人への手紙2章16~17節)。」秋の祭りはキリスト再臨に関わる終末の出来事を啓示していることを、もう一度確認しておきましょう。
・第7の月であるティシュリの月の1日は全き休みの日、神殿時代には、角笛を吹き鳴らして記念する聖なる会合が開かれました。ティシュリ10日(罪の赦しのために宥めがされる日)が近いことを覚えて身を戒め、全焼のささげ物と罪のきよめのささげ物を献げました。イスラエルではこの日から10日間、悔い改めを呼びかけるために毎日角笛が吹き鳴らされ、全国的に祈りの期間を過ごします。
預言的には、この期間は終末の艱難時代を予表していると考えられます。
・ティシュリ10日は1年で最も厳粛な日、聖なる会合を開いて、自らを戒める日です。全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を捧げ、大祭司が至聖所でイスラエル民族の罪のために宥め(贖い)を行いました。この日は「宥めの日(大贖罪日)」と呼ばれ、イスラエル民族の1年間の罪が赦されたか、赦されずに残ったかの判決が下るとされています。神殿時代の大贖罪日には、イスラエル民族全体の贖いが完了すると、罪の赦しと解放を知らせるための合図の角笛が長く吹き鳴らされました。
大贖罪日は世の終わりの審判を予表し、一人一人に神の判決が下ることを教えています。イスラエル民族はその日を迎える前に、毎年、1年間の罪が消されるように断食して悔い改め、いのちの書に自分の名前が残されるように祈ります。
・ティシュリ15日から7日間続く仮庵の祭りは、イスラエル民族がエジプトから導き出され、荒野で仮庵に住んだことを記念する祭りですが、罪の贖いがなされて裁きが取り消されたことを喜び、収穫を感謝する祭りでもあります。
預言的には、世の終わりに義と判定された人々が、新しい時代、神の支配する新しい世界に招き入れられ、神の国の祝宴で喜び楽しむことを予表しています。
これらのことを前提に、第7のラッパが鳴り響く日、主の再臨の日について学んでいきましょう。
2. 宥めの日(大贖罪日)が教える世の終わりの贖罪
① 天の大祭司キリストによる贖罪
大贖罪日に大祭司がイスラエル民族の贖いをすることは、世の終わりにキリストが人類の贖いを完了することを予表しています。レビ記と黙示録を比較してみましょう。
レビ記16章によると、大贖罪日には、大祭司が祭壇から取った炭火と、粉にした香り高い香を携えて垂れ幕の内側(至聖所)に入り、主の前の火に香をくべます。香から出る煙は、あかしの箱(契約の箱)の上の宥めの蓋を覆います。
それから大祭司は、まず自分と家族の罪のきよめのために雄牛の血を、続いて民の罪のきよめのために雄やぎの血を、宥めの蓋に振りかけ、イスラエル民族の全ての罪を贖います。大祭司が宥めを終えて聖所から出て来るまで、誰も会見の天幕の中に入ることはできません。
大祭司が出て来ると、イスラエルの全ての罪をアザゼルの山羊に載せて荒野に追いやり、戻って来ることができないように崖から突き落として殺したそうです。すべてが終わると、贖罪終了を知らせるために角笛が長く吹き鳴らされました。
祭りは影であり、本体はキリストにあります。
へブル人への手紙9:11~12
しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
黙示録8章を見ると、第7の封印が解かれた後、1人の御使いが金の香炉を持って御座の前にある金の祭壇の前に立ち、たくさんの香を捧げます。香の煙はすべての聖徒たちの祈りとともに、神の御前に立ち上ります。
この御使いが大祭司キリストであると思われます。キリストはご自分の血によって天の聖所に入り、世の終わりに金の祭壇に香とすべての聖徒たちの祈りを捧げ、聖徒たちの犯した罪のために最終的な贖い(宥め)を行われると考えられます。
その後、大祭司キリストが金の香炉に祭壇の火を満たし、地に投げつけると、雷鳴と声がとどろき、稲妻が閃き、地震が起こります。そして第1のラッパから第6のラッパまでが吹き鳴らされます(黙示録8:7~9:21)。
第6のラッパが吹き鳴らされ、第2の災いが起こった後、強い御使いが雲に包まれて天から降って来ます(10:1)。頭上には虹があり、顔は太陽のよう、足は火の柱のようです。黙示録1章でヨハネが見たイエス様の顔は強く輝く太陽のよう、足は炉で精錬された光り輝く真鍮のようだったので、その御使いは大祭司キリストであり、宥めを終えて、天の聖所から出て来られたのだと思われます。
② 御怒りが注がれる前に、義人が救い出される
それからその強い御使いが宣言しました。
黙示録10:6~7
・・・「もはや時は残されておらず、第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。
世の終わりに、神は罪人を裁くために天から来られますが、神の子イエスを信じ、義とされた者は裁きを免れます。
最後の第7のラッパが吹かれると、神の憤りが満ちた7つの金の鉢が地にぶちまけられ、第3の災いが起こります。主の御怒りの恐るべき日が来るのです(詳細は15章)。
しかし、キリストの血によって罪が贖われ、神の国を受け継ぐ保障として聖霊の証印を受けている人は、神の裁きを恐れながら待つ必要はありません。大祭司キリストが天の祭壇に香と聖徒たちの祈りをささげ、宥めを完了されたので、神の御怒りを受けることはありません。
Ⅰテサロニケ5:9
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
黙示録11章を見ると、エルサレムは42か月間踏みにじられ、2人の証人が1260日間、預言します。彼らは神のしもべであり、主イエスの再臨と裁きを警告する最後の預言者です。
その預言の期間中、彼らはあらゆる災害で地を打ちます。ちょうどモーセが預言するとエジプトを災いが襲ったように、彼らが預言すると自然災害が起こったり、恐ろしい生き物が襲撃したりするのかもしれません。そして証言を終えると、二人は底知れぬ所から上って来る獣によって殺されます。
しかし3日半の後、いのちの息が入って彼らはよみがえります。そして天から「ここに上れ」という大きな声がして、彼らは雲に包まれて天に上ります。
最後の預言が終わると2人の預言者は殺されますが、3日半の後、主が空中に現れて、義人の復活と携挙が起こると考えられます。
Ⅰテサロニケ4:16~17
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
それから大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、7千人が死にます(11:11~13)。生き残った人は恐れを抱き、天の神に栄光を帰しました。2人の証人のよみがえりと携挙を目撃し、彼らの預言が真実であったと悟り、聖書の神に立ち返ったのかもしれません。
③ 天に上げられた人々
黙示録14:1~5には、地上から贖われたイスラエル12部族の144,000人が、小羊とともにシオンの山の上に立っていると書かれています。彼らは、神と子羊に献げられる初穂として贖い出されたイスラエル人です。異邦人信者とともに先に救出された、イエス様を信じるメシアニック・ジュ―であると思われます。
最終戦争(ハル・メギドの戦い)で主がイスラエルの敵を滅ぼされるのを見て、イスラエル民族は最終的にイエス様を信じて民族的に救われますが、その前に、初穂の144,000人が贖い出されたのでしょう。
黙示録4章でヨハネが見た幻では、天の御座の前は水晶に似たガラスの海のようであり、白い衣をまとい、金の冠を被った24人の長老たちと4つの生き物が、世々限りなく生きておられる方を礼拝していました(4:6~11)。白い衣はキリストの血によってきよめられた人が着る服、金の冠は勝利者に与えられる冠です。
黙示録15章では、獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った人々がガラスの海のほとりで神の竪琴を手にし、モーセの歌と小羊の歌を歌っています。
黙示録15:3~4
・・・「主よ、全能者なる神よ。あなたのみわざは偉大で、驚くべきものです。諸国の民の王よ。あなたの道は正しく真実です。主よ、あなたを恐れず、御名をあがめない者がいるでしょうか。あなただけが聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが明らかにされたからです。」
4章も15章も、罪と死に勝利した人々が天に上げられ、御座の前で神をほめたたえ、礼拝している光景であると思われます。贖われたイスラエル民族はモーセの歌を、異邦人信者は子羊の歌を歌っているのかもしれません。
④ 6つの鉢から神の憤りが地に注がれる
黙示録15:5~16:1
その後、私は見た。天にある、あかしの幕屋である神殿が開かれた。
そして七人の御使いが、七つの災害を携えて神殿から出て来た。彼らは、きよく光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。また、四つの生き物の一つが、七人の御使いたちに七つの金の鉢を渡したが、それには世々限りなく生きておられる神の憤りが満ちていた。神殿は、神の栄光とその御力から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその神殿に入ることができなかった。
また私は、大きな声が神殿から出て、七人の御使いに、「行って、七つの鉢から神の憤りを地に注げ」と言うのを聞いた。
イスラエルの大贖罪日に贖いを終えて大祭司が幕屋から出て来ると、人々の罪は取り除かれ、アザゼルの山羊が身代わりに罪を着せられて殺されました。
世の終わりに贖いを終えてイエス様が天の聖所から出て来ると、贖いが完了した義人たちは天に引き上げられ、地上の罪人たちには神と子羊の御怒りが注がれる(16:2~14)と考えられます。
・第1の鉢が地に注がれると、獣の刻印を受けている者たちと獣の像を拝む者たちに、ひどい悪性の腫物ができた。
・第2の鉢が海に注がれると、海が死者の血のようになり、海の生き物がみな死んだ。(第二のラッパの時は三分の一)
・第3の鉢が川と水の源に注がれると、水が血になった。(第三のラッパの時は三分の一)
・第4の鉢が太陽に注がれると、太陽が人々を激しい炎熱で焼いた。人々は神の御名を冒涜し、悔い改めなかった。
・第5の鉢が獣の座に注がれると、獣の国は闇に覆われ(第四のラッパの時は三分の一)、人々は苦しみのあまり舌をかんだが、それでも天の神を冒涜し、自分の行いを悔い改めなかった。
・第6の鉢がユーフラテス川に注がれると、水が枯れ、東から来る王たちに道を備えた。竜と獣と偽預言者から悪霊どもが出て行き、神の大いなる日の戦いに備えて、全世界の王たちをハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた。
神の憤りが5つの鉢から、獣と獣に従う者たちに注がれました。しかし、人々はもはや悔い改めることができず、神を冒涜し続けます。
そして第6の鉢が注がれると、神(王として再臨されるイエス様)と戦うために軍隊を集めます。
その時、いよいよ主が真の姿を現わされます。神が、地を滅ぼす罪人どもを滅ぼされる恐ろしい日、御怒りの大いなる日が来るのです。
3.御怒りの大いなる日:主の激しい怒りの日
第7の鉢の中身が空中に注がれ、神殿の中から「事は成就した」という声がします。そして稲妻が閃き、雷鳴がとどろき、人類始まって以来、未だかつてなかったほどの大地震が起こります。都(大バビロン)は三つに裂かれ、諸国の町々も倒れ、島々は逃げ去り、山々は見えなくなり、1タラントほどの大きな雹が降って来ます(黙示録16:18~21)。
① 天変地異の後、神の御怒りが注がれる
黙示録6:12~17
また私は見た。子羊が第6の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」
7つの封印は終末の全体像を要約しています。第6の封印が解かれると、大地震が起こり、太陽・月・星に大異変が起こり、天が消えてなくなります。第6の封印の出来事は、第7の鉢がぶちまけられた時に起こる、主の御怒りの日の出来事であると思われます。
神と子羊の御怒りの大いなる日、神に反抗する者たちは、いよいよ神が天から来られたと悟り、自分たちの最後を知っておののき、叫びます。
旧約時代の預言者・ゼパニヤやイザヤは、メシアが地上に来られる主の大いなる日に、大地が暗黒に閉ざされること、そして人々は主の激しい怒りを恐れて叫び、逃げ隠れすることを預言していました。
ゼパニヤ1:14~18
「主の大いなる日は近い。それは近く、すぐにも来る。主の日に声がする。勇士の悲痛な叫び声が。その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、角笛と、ときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。
「わたしが人を苦しめるので、人々は目の見えない人のように歩く。主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまち滅ぼし尽くすからだ。」イザヤ2:10~12、17~21
岩の間に入り、ちりの中に身を隠せ。主の恐るべき御顔を避け、そのご威光の輝きを避けて。その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主おひとりだけが高められる。まことに、万軍の主の日は、すべておごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。
・・・その日には、高ぶる者はかがめられ、高慢な者は低くされ、主おひとりだけが高められる。偽りの神々は消えうせる。主が立ち上がり、地をおののかせるとき、人々は主の恐るべき御顔を避け、ご威光の輝きを避けて、岩のほら穴や、土の穴に入る。その日、人は、拝むために造った銀の偽りの神々と金の偽りの神々を、もぐらや、こうもりに投げやる。主が立ち上がり、地をおののかせるとき、人々は主の恐るべき御顔を避け、ご威光の輝きを避けて、岩の割れ目、巌の裂け目に入る。
新約聖書には、主の再臨を悲しむ人々がいるとも書かれています。
マタイ24:29~30
そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。黙示録1:7
見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。
不信者たちはついにイエス様が天から来られたのを見て、福音を受け入れず、主の恵みを拒否したことを後悔することになります。そしてメシアを十字架に付けたユダヤ人たちも、自分たちの罪が赦されなかったことを悟って悲しむのです。
② 最終戦争はエルサレムをめぐる戦い
悪魔が支配しているこの世では、真の神に対する不信者の憎悪と反抗は、最終的にイスラエルとエルサレムに向けられ、世界中の国々がイスラエルを滅ぼすために集まって来ます。それは、悪魔が不信者たちを使って、主の再臨を妨げようとするからです。
主は、エルサレムを滅ぼそうとする諸国の軍隊を滅ぼすために天から降って来られます。主はアブラハムと結んだ契約のゆえに、そしてご自分の御名のために、イスラエルの敵を滅ぼし、イスラエルを救われ、ご自分が唯一真の神であることを証明されます。
ゼカリヤ12:2~3、9
「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのあらゆる民をよろめかす杯とする。エルサレムの包囲されるとき、ユダについてもそうなる。その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。…その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。」
エルサレムを包囲する軍隊に、神と子羊の御怒りが下ります。
ゼカリヤ14:3~5
主が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。・・・私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。ヨエル3:1~2、16
「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。・・・主はシオンから吠え、エルサレムから声をあげられる。天も地も震える。主はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。
ラッパの災害と鉢の災いを体験しても悔い改めなかった人々は、竜と獣と偽預言者を操っていた汚れた霊に惑わされて、イスラエルとエルサレムを滅ぼそうとして進軍して来ますが、主は、エルサレムを取り囲んだ諸国の軍隊を滅ぼしてしまわれます。
出エジプトしたイスラエル民族を滅ぼそうとしたファラオの軍勢が滅ぼされて、イスラエル民族が救い出されたように、主と御使いの軍勢によって獣の軍勢が滅ぼされ、イスラエル民族が救い出されるのです。
③ 主は角笛とともに来られ、民を救われる
預言者たちは、角笛が吹き鳴らされる日についてどのように預言していたでしょうか。
ゼカリヤ9:14~16
主は彼らの上に現れ、その矢は稲妻のように放たれる。神である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。万軍の主が彼らの盾となる。彼らは石投げの石で滅ぼし、踏みつける。彼らは血をぶどう酒のように飲み、沸き返る。鉢のように、祭壇の四隅のように、満たされる。その日、彼らの神、主は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。
主が来られる時には角笛が吹き鳴らされます。主が南の暴風の中を進み、諸国連合軍に滅ぼされそうになっていたイスラエル民族の盾となって戦かわれます。
イザヤ27:12~13
その日、主はあの大河からエジプト川まで穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ、あなたがたは一人ひとり拾い上げられる。その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリアの地にいる失われていた者や、エジプトの地に追いやられた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で主を礼拝する。
大きな角笛が鳴り渡ると、散らされ、失われていたイスラエルの子らが集められ、約束の地に連れ戻されます。
マタイ24: 31
人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
「選びの民を集める」の本来の意味は、旧約聖書に預言されていたように「離散したイスラエルの民をよみがえらせて約束の地に集めること」です(参照:こちら)。そして永遠の約束の地は、現在のエルサレムではなく、天から降る新しいエルサレムです。
聖書の神と救い主イエス様を信じるクリスチャンは、アブラハムの子孫とされ、イスラエル民族と同じ神の国の民とされたので、アブラハム契約で約束された相続地をイスラエルとともに受け取ることができます(参照:こちら)。イスラエル民族への約束が実現する時、異邦人クリスチャンにも同じ約束が実現します。
4.終わりの時代を生きる信仰者
Ⅱペテロ3:10~13
主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
この世界は、ますます生き辛い、困難な時代となっていきます。終わりの時代のクリスチャンは、大艱難時代を避けて通ることはできないでしょう。けれどもその中で敬虔に生き、主と御言葉に忠実に歩み、試練を通って清められ、義と認められた人々は、新天新地・新しいエルサレムを相続することができます。最後まで耐え忍ぶ人は救われます。たとえ殉教していても復活し、永遠の神の国を受け継ぐことができるのです。
コメント