イエス様が地上に再臨され、御国(メシア王国・キリストの王国)を打ち立てられる前には、7年間の艱難時代があると言われています。そして主が天から降って来られる時、主を信じる者たちを空中に引き上げてくださると教えられています。
聖書には「携挙」という言葉はありませんが、「携挙――携え挙げられる」という言葉が意味しているのは、クリスチャンが空中に引き上げられ、主とお会いすることです。
1.携挙についての3つの立場
いつ空中に挙げられる(携挙される)かについて、艱難期前携挙説、艱難期中携挙説、艱難期後携挙説の3つがあります。
クリスチャンが地球を離れて天国に行き、そこで数年間を過ごすという考え方と、クリスチャンは艱難時代をずっと地上で過ごすという考え方の違いで3つの立場に分かれます。
艱難期前携挙説と艱難期中携挙説を取る人々は、先に携挙があり、その後地上再臨があるという二段階再臨説を取っています。艱難期の始まる前、もしくは艱難期の中間でイエス様が空中に現れ(空中再臨)、信者を携挙して天国に連れていきます。そして天国での婚礼を済ませてから、7年後もしくは3年半後に、携挙されていた人々を引き連れて地球に戻って来る(地上再臨)という考え方です。イエス様の再臨を「空中再臨(携挙)」と「地上再臨」の2回に分ける考え方です。
艱難期後携挙説では、7年間の艱難期の終わりに、携挙と地上再臨がほとんど時間を空けずに連続して起こり、信者は一時的に空中に挙げられるが、天上の世界には行かないと考えます。
再臨は二度あるのか、それとも艱難期の最後に携挙と連続して一度だけ起こるのか。
この記事では、テサロニケ人への手紙第一、第二を中心にイエス様の教えと合わせて検証し、再臨と携挙がどのように起こるかを明確にしていきます。
2.主とお会いする前に起こること
まず、テサロニケ人への手紙を中心に、主とお会いする時の出来事について学びましょう。
① クリスチャンは、主イエスが天から現れる時まで地上で苦しめられる
Ⅱテサロニケ1:4~10
1:4 それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
1:10 その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の──そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです──感嘆の的となられます。
パウロは異邦人伝道に召された使徒です。これは異邦人教会に宛てられた手紙です。
テサロニケのクリスチャンたちは、神の国のために迫害されながらも、熱心に主の再臨を待ち望んでいましたが、主の日について正しい知識がなかったため、混乱していました。そこで、パウロは主の日について改めて教えるために2通目の手紙を書きました。
・信徒たちを苦しめる者に報いとして苦しみが与えられ、苦しみを受けている信徒たちに報いとして安息が与えられるのは、主イエスが炎の中に、御使いたちを従えて天から現れるときです(1:6~7)。
・そのとき、不信者たちは主から退けられ、報復され、永遠の滅びの刑罰を受けます(1:8~9)
・主は聖徒たちによって栄光を受け、感嘆の的となられます(1:10)。
パウロによると、迫害者や不信者に対する報復と、信者たちの救出は、主が御使いたちを従えて天から現れるときにほぼ同時に起こります。そして主が御使いを伴って来られるのは、太陽・月・星に大異変が起こった後です(マタイ24:29~31、ルカ21:25~27)。
主の再臨を待ちながら迫害や患難に耐えていた信者たちは、その日、救出されて主に初めてお会いし、感嘆して主に栄光を捧げるのです。
主が天から現れて信者を救出される時まで、信者は地上にいて苦しめられます。ですから、クリスチャンは大艱難時代を通ります。
② クリスチャンは主にお会いする前に不法の人を目撃する
2章でパウロは、主が来臨され、信者が集められる前に何が起こるか詳しく語っています。
Ⅱテサロニケ2:1~4
2:1 さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。
2:2 霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
テサロニケの信者たちは、すでに主の日が来たという噂を聞いて、動揺していました。
主の日とは、不信者にとっては神の怒りと裁きが下される日、信者にとっては復活と救いが完成する日のことで、その日、信者たちが御使いによって主のみもとに集められます。
パウロは、私たちの主イエス・キリストが再び来られ、私たちが主のみもとに集められる前に、つまり、主が現れる日の前に何が起こるかを説明しています。
・主の日が来る前に、まず背教が起こり、不法の人(滅びの子)が現れます(2:3)
背教はギリシャ語の「アポスタシア」で、「離れること」を表します。
背教とは、聖書と救い主イエスを信じて従っていたはずのクリスチャン(教会)が、神の「教えに背を向ける」ことで、聖書の神と正しい聖書信仰から離れるようになります。
教会が背教して御言葉を軽視し、都合の悪い教えを排除して自分に都合良いことを語る教師たちを呼び集め、御言葉よりも「しるし、不思議、奇跡」などの現象を追い求めるようになると、
⇒ 偽教師、偽使徒、偽預言者に惑わされ、
⇒ 最後の偽預言者と偽キリストに惑わされることになります。
「背教」の原語「アポスタシア=離れること」を、「地上を離れること=携挙」と解釈する教えがあります。もし先に携挙が起こって信者たちが集められ、それから不法の者が現れ、その後、主の日が訪れるとすると、不信者の裁きと信者の救出は主の日に起こるという1章の教えと矛盾します。ですから、不法の者が現れる前に携挙が起こるという説は成り立ちません。
・不法の人が、神の宮(エルサレム神殿)の中に座を設け、自分が神であると宣言します(2:4)
不法の人とは、黙示録で「獣」と呼ばれる最後の反(偽)キリストのことです。
将来、エルサレムの神殿の丘にイスラエルの第三神殿が立ち、「獣」が自分を神として座に着き、自分を崇めさせ、従わない者を迫害するようになります。真の信者たちは殉教します(黙示録20:4)が、主が再臨され、その獣を捕らえ、火の池に投げ込まれます(黙示録19:20)。
クリスチャンのからだが「聖霊の宮」と呼ばれているので、「神の宮の中に座を設け」を「クリスチャンの心に不法の人が座す」とする解釈があります。
もしクリスチャンが不法の人を「主」として心に迎えるなら、聖霊はクリスチャンのからだから追い出されるのでしょうか? 一度イエス様を信じて永遠のいのちを約束され、聖霊が与えられて神の国を受け継ぐ保障をいただいた人から聖霊が追い出され、その人が悪魔に奪い取られるなら、悪魔の方が神よりも強いことになり、神は全能ではなく、約束を守れないということになります。
また、「まず携挙が起こってクリスチャンがいなくなり、それから不法の人が現れてクリスチャンの心の中に座を設ける」というのは矛盾しています。ですから「不法の人が神の宮(クリスチャンの心)の中に座す」という解釈は成り立ちません。
パウロはテサロニケの信者たちに、クリスチャンは主とお会いする前に、不法の人が自分を神と宣言し、神殿に座るのを目撃するようになると教え、騙されないように警告しているのです。
③ クリスチャンは欺きの時代を通らなければならない
パウロの教えを続けましょう。
Ⅱテサロニケ2:5~12
2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
2:7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
2:8 その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
2:9 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
5節でパウロが「これらのことをよく話しておいた」と言ったのは、3~4節の「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れ、神の宮に座を設ける」ということです。
・不法の秘密はすでに働いているが、不法の人はまだ来ていません。
・その時が来ると、サタンの働きによって不法の人が現れ、あらゆる偽りの力、しるし、不思議が伴い、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。神が惑わす力を送られるので、救われるために真理を信じないで、悪を喜んでいた人たちは、不法の人に騙されるようになります。それにより滅びる人たちが誰であるか明らかになります。
・主が再臨され、御口の息をもって不法の人を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。
「主よ、主よ」という者が皆、天の御国に入るのではありません。クリスチャンと自称しながら本当は悔い改めておらず、真理を信じないで不法を行う者がいます。もし、クリスチャンが艱難時代の始まる前に地上からいなくなり、不法の人に出会うことがないなら、パウロは誰にも騙されないようにと警告する(2:3)必要はなかったでしょう。
マタイ24:42、44
ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。・・・ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。
パウロはテサロニケの人々に、主が再臨され、みもとに集められる時まで、背教に巻き込まれたり、不法の人(滅びの子)に騙されたりしないようにと忠告しています。
3.主のみもとに集められる時に起こる事
テサロニケ人への手紙第二から学んだことをまとめます。
・主の日には、主イエスが炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れます。
・主の日の前には、不法の人が現れて滅びる人々を惑わしますが、主が来られ、御口の息で不法の人を滅ぼされます。
・イエス様は信者たちを迫害する者に報復し、信者たちを救出して安息を与えてくださいます。
では、信者たちはどのように主のみもとに集められるのか詳しく見てみましょう。
① ラッパの響きで御使いたちが遣わされ、選びの民を集める
主は選びの民を集めるために御使いを遣わされます。
マルコ13:26-27
そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。
マタイ24:31
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
・選びの民が集められる時
人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々が見る時です。それは、実際に主が天から下って来られ、肉眼で見えるように現れる時です。主はこっそり信徒たちを集めに来られるのではありません。夜空に稲妻がひらめくようにはっきりと現れます。創造主の栄光はすべての被造物の目に明らかにされます。
・集める方法
御使いが選びの民を世界中から集めます。ソドム・ゴモラが滅ぼされる時、2人の御使いがロトの家族を連れ出したことは終末の型になっています(参照:人の子の日の滅びから救われる)。人々は、御使いたちが選びの民を集めるのを目撃することになるでしょう。
・集める合図
大きなラッパの響きです。不信者もその響きを耳にするかもしれません。
主は人々に見えるように天の雲に乗って現れ、ラッパの合図で御使いを遣わし、選びの民を集めさせます。
② ラッパの響きで主にある死者がよみがえる
終わりのラッパが鳴るまで、キリストにある死者はよみで眠っています。
コリント人への手紙第一15:50 ~53
兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
血肉のからだ(死ぬべきからだ)のままでは、神の国(永遠の御国)に入れません。不滅の身体に変えられた者が、神の子として神の国を相続します。終わりのラッパが鳴ると、一瞬のうちに、死んで(眠って)いた信者がよみがえり、生き残っていた信者が朽ちないからだに変えられ、死に勝利した神の子として出現します。
終わりのラッパが鳴ると、死者の復活と生き残っている信者の栄化が起こります。
③ ラッパが鳴り響き、信者が空中に引き上げられる
パウロは、テサロニケのクリスチャンに最初に書いた手紙で、よみがえりについて教えています。
Ⅰテサロニケ4:13~17
4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
ラッパが響き、主が天から下って来られます。死んでいた信者たちの復活が先に起こり、それから生き残っている信者たちの栄化が起こり、一緒に雲の中に引き上げられて(携挙)空中で主とお会いします。
これは主の日、主が再臨される時の光景です。
15節は、新改訳2017版では「生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません」と書かれています。パウロは、主が再び来られる時、自分が生き残っていることもありうると想定し、天から降って来られる主を地上で目撃することになると説明しています。
パウロはⅡテサロニケ2章で、「私たちの主イエス・キリストが再び来られ、私たちが主のみもとに集められることに関してお願いがある」と言い、主の日が来る前に背教が起こり、不法の人が現れるので、誰にも騙されないようにと警告しました。
不法の人が現れると、自分を神とし、自分を礼拝しない者たちを激しく迫害、虐殺するようになります。主は、死んだ信者たちを生き返らせ、生き残っている信者たちと一緒に空中に引き上げ、救い出してくださるのです。
ラッパが鳴って主が下って来られる時、反キリストの迫害下で生き残っていた信者たちは、よみがえった殉教者たちと一緒に引き上げられます。ですから、クリスチャンの携挙は反キリストが現れた後、艱難期の終わり頃であることがわかります。
4.二段階再臨(空中再臨)説に欠けている根拠
Ⅰテサロニケ4:16~17
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
この個所は、クリスチャンが空中に携え挙げられ、主とお会いすること(携挙)についての御言葉ですが、二段階再臨説では空中再臨のことであると説明されます。空中再臨とは、主は秘かに天から空中に降りて来られ、携挙された信徒たちを引き連れて天国に戻って行かれるという説です。
それが正しいかどうかは、御言葉から確認しなければなりません。
・信徒たちは空中で主と出会い、その後「いつまでも主とともにいる」ことになりますが、どこに行くのかが書かれていないので、聖書の他の箇所から探し出す必要があります。艱難時代の前に雲の上にある天国に行くと確証する御言葉を探さなければなりません。
・テサロニケ人への2通の手紙から確認した主の再臨時の状況は、「主が炎の中に御使いたちを従えて天から下って来られ、ラッパの響きと共に御使いを遣わし、迫害下にある信者を救い出し、不法の人を滅ぼされる」ことでした。その前に、主が秘密裏にクリスチャンを集める空中再臨があるなら、そのことを示す御言葉を探さなければなりません。
教理的な教えについては、御言葉から証明し、正しく解釈することが必要です。
5.聖徒たちはいつ携挙されるのか
黙示録14:6~13で、3人の御使いが地上に住む人々に永遠の福音を宣べ伝え、獣の刻印を受ける者は火と硫黄とで苦しめられると警告し、イエスに信仰を持ち続ける聖徒たちに忍耐を説き、主にあって死ぬ者は幸いであると語ります(14:6~13)。大艱難時代には地上にイエス信者たちがいます。
そして雲に乗って来られた人の子が地の穀物を刈り取り、御使いがぶどうを刈り集めて怒りの酒ぶね(都の外にある踏み場)に投げ入れて踏みます(14:14~20)。主が現れ、信者が主のみもとに集められ、不信者に対する報復がほぼ同時に起こっています(参照:終末と再臨4「麦と毒麦」「地の刈り取りと怒りのぶどう踏み」)。
黙示録15章では、獣とその像とその名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にしてガラスの海のほとりに立ち、モーセの歌と小羊の歌とを歌って神を賛美しています(15:2~4)。大艱難時代に獣のしるしを拒否し、真の神に対する信仰を守って勝利したイスラエル民族とクリスチャンがいます。
その後、天にある、あかしの幕屋の聖所が開き、神の御怒りの満ちた7つの金の鉢が7人の御使いに渡され(15:5~7)、7つの鉢が地に向けてぶちまけられます(16章)。
ここから推測できるのは、獣に打ち勝った人々は、7つの鉢(裁き)が地にぶちまけられる前に、天に上げられているということです。
まとめ:
テサロニケ人への手紙ⅠとⅡ、コリント人への手紙Ⅰ、そしてイエス様の御言葉から主の再臨に関してまとめると、次のようになります。
・背教が起こり、不法の人が神殿で自分を神として立つ。信者たちは獣と獣のしるしを拒否し、苦しめられ、殉教する。
・主が雲に乗って空中に現れ、ラッパの合図で御使いたちを遣わす。
・ラッパが鳴るとキリストにある死者がよみがえり、まだ生きていた信者と一緒に雲の中に引き上げられる。
・御使いが選びの民を集め、集められた民は空中で主と会い、それからいつまでも主と共にいる。
・信者たちが集められると、福音に従わず、信者たちを迫害していた者たちが主に報復され、不法の人が滅ぼされる。
コメント
とても分かりやすく、再臨について、まとめて下さり感謝します。
日本のキリスト教会では、艱難前に携挙があると教えている教会が多く、これでは反キリストが現れた時の備えが間に合わず、そのことを危惧しています。
志甫信之様
本当にそうですね。困難な時代を避けたい気持ちはわかりますが、まだ携挙されていないから艱難時代は来ていないと考えるなら、偽指導者に騙されてしまう危険性があります。いつ始まったかわからないうちに艱難時代が始まり、クリスチャンの想定に反して展開していくかもしれません。獣のしるしに気づく人は少なく、多くの人は警告を受け入れようとしないかもしれません。これからは、私的解釈をせず、御言葉によって時代を見分けていくことが必要です。主が霊的目を開いて下さり、正しい理解と知恵を持って決断、行動ができますように!