イエス様の再臨が近づいています。終わりの時代のクリスチャンは、その日、喜んで主にお会いできるように、自分の心を整え、祈り、備えていく必要があります。
終末時代の今、神が求める祈りとはどんな祈りでしょうか? そして神が求める祈り手とはどんな人物でしょうか?
祈りは大きく2種類に分かれると思います。
一つは、「人間の必要を祈る」こと、自分や家族や教会の必要や願い事のために祈ることです。それは、人間が祈る課題を決め、人の願望や人の計画を主に差し出し、その実現を求める祈りです。
もう一つは「神の必要を祈る」こと、神が祈らせたい課題を受け取って、神の御心の実現を祈ることです。それは、聖霊に迫られ、突き動かされて祈る、神の計画実現のための祈りです。
ルカの福音書には、イエス様の初臨に備えて長い間祈っていた高齢の男女の話があります。
イエス様は生後40日目、両親に連れられて初めて神殿に行かれました。それは、男子の初子を聖別された者として主に捧げ、母マリアの産褥の清めの捧げ物をするためでした(ルカ2:22~24)。
その日、メシアを待ち望む、正しい、敬虔な二人の人物、シメオンとアンナが聖霊に導かれて宮に来ていました。彼らは赤ちゃんのイエス様を一目見て、この幼子こそイスラエルを救う約束されたメシアであると悟り、主に感謝を捧げ、聖霊によって預言し、救い主を民衆に紹介しました。
彼らは聖霊に迫られ、メシアを地上に送り出すという神の御計画実現のために日々祈り続けました。そして生涯が終わろうとする頃、ついに約束された救い主にお会いし、最高の感動と喜びを体験したのです。
神の時を悟り、神に求められる祈りを捧げることが重要です。大艱難と主の日が近づいている今、時代を見分け、主の御計画の最終的実現のために祈ることは、私たちの重要な使命です。
この記事では、正しい心で救い主を待ち望み、聖霊に導かれて歩み、神の御心の課題を祈り続けたシメオンとアンナについて学び、私たちはこの時代をどのように生き、何をどのように祈るのかを考えてみます。
1.神の御計画を知り、時代の見張り人として祈る
終末時代には戦争、疫病、災害が増加し、地上の全ての人に艱難が臨みます。獣と呼ばれる独裁者が現れて自分を神として崇めさせ、獣のしるしを受けない者は生活することができなくなり、聖書の神を信じるクリスチャンやユダヤ人は、激しく迫害されるようになると警告されています。イエス様の再臨直前の世界は、初臨直前のイスラエル社会よりも困難な時代になるかもしれません。
そこで、シメオンとアンナの信仰と祈りを学ぶ前に、当時のイスラエルの時代背景を探ってみます。
① 初臨時のイスラエルの社会状況
イエス様が誕生された当時、イスラエルはローマ帝国の属国でした。
・ヘロデ王は、ローマ帝国がユダヤ人を支配させるために立てたエドム人でした。彼は聖書の神を信じていたわけではなく、ユダヤ人やユダヤ社会のために国を治めたわけでもありませんでした。
・ヘロデ党の人々は、ユダヤ人でありながら当時の体制に与し、私腹を肥やした裏切り者でした。
・取税人は、ローマへの税金を民衆から徴収する時、高い手数料を取って儲けていました。
これらの人々は、この世の地位・財産・権力に目がくらみ、世的な成功を求め、神に対する誠実さと、神の御言葉に対する信仰を失っていました。彼らはメシア来臨を求めてはいなかったのです。
・熱心党の人々は、「打倒ローマ・ユダヤ独立」の悲願に燃え、ガリラヤ地方を拠点に、戦いの訓練・武器調達に励み、ローマ兵を追い出すためにはテロや殺人をも厭わず、社会に騒動を起こしていました。彼らの待ち望むメシアは、ダビデのように戦い、勝利する、強い王でした。
そのような社会状況の中で、民衆は、ローマ帝国の軍事支配とヘロデ王の悪政、高い税金のために貧困にあえぎ、霊的圧迫や病気に苦しみ、救いと解放を待ち望んでいました。
② 初臨時のイスラエルの宗教事情
当時のユダヤ教はモーセの時代の聖書的信仰とは異なり、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派に分派していました。
・サドカイ派は、本来、神殿でいけにえを捧げ、聖別された祭司として神に仕える人々です。ところが、彼らは神に献身していたわけではなく、心は神から離れ、神の御計画を知らず、復活も御使いも信じず、メシアを待ち望んでもいませんでした。彼らは神殿で商売し、民衆から搾取して金儲けをする「宗教的特権階級」に成り下がっていました。宗教は彼らのビジネスだったのです。
・パリサイ派は、民衆に律法を教え、神の前に正しく歩むように導く霊的指導者たちです。ところが、彼らは律法の本質を悟らず、本来の律法に事細かな口伝律法(先祖たちの言い伝え)を付け加え、民衆を守り切れない規則で縛り、重荷を負わせていました。そのくせ、自分たちは神の戒めを守らず、自己義を主張する「偽善者」になっていました。
・エッセネ派は、神の教えを守り、律法に忠実に従って生きるために、異邦人の支配するエルサレムを離れ、荒野で自給自足の共同体生活を送っていました。トーラーを書き写し、メシアを待ち望んでいましたが、自分たちの理想のために社会を捨て、民衆とは無関係に暮らしていました。
祭司の王国として召命を受けたイスラエル国家で、霊的指導者たちは役に立たないばかりか、民衆の重荷となっていました。民衆は、宗教的支配階級であるサドカイ人からは搾取され、霊的指導者であるパリサイ人からは精神的に虐げられ、救い、解放、自由、平和を求めて、うめいていたのです。それは、メシア誕生を求める生みの苦しみでした。
イエス様の再臨前には、神の国を生み出すための産みの苦しみが全世界に臨みます。それが大艱難時代です。本当に神に従う人はわずかで、真の祈り手は少ないかもしれません。これからの時代は、神に忠実な本当の信仰者と背教者、そして神に敵対する者が明らかになることでしょう。
③ 神の計画に協力する祈り手
神様は、数千年以来のご計画を実現し、救い主をこの世に送り出す前に、その計画に祈りによって参加する人々を求めておられました。その重大な神の時のために祈り手として選ばれ、自分の人生を捧げた人物がシメオンとアンナです。メシアが無事に誕生し、神に聖別される時まで、彼らは何十年間も祈りに人生を費やしたのです。
年老いて自分の死が間近になった時、その祈りはさらに緊急性を帯び、彼らは真剣に、必死に、約束の言葉を握って祈ったことでしょう。いつ、どこで、どんな家族の下で生まれるのか知らずに、救い主ご自身のために、両親のために、聖霊の導きで祈ったのです。ベツレヘムへの旅と出産が守られるように、新生児の一番弱く無力な時、あらゆる病気や災いから守られるように。
イエス様は生後8日目に、ベツレヘムで「契約の民のしるし」として割礼を受け(ルカ2:21)、律法に従う神の民・イスラエル民族に加えられました。メシアはイスラエル民族から生まれるからです。そして生後40日目に初めてエルサレム神殿に上り、主に捧げられ、聖別されました(2:22~23)。神様はその日、シメオンとアンナの忠実な働きに報いて、救い主を見せてくださいました。
神の御子であるイエス様は、アブラハムの子孫たちへの約束を成就するために、ダビデの子孫となってユダヤ人社会の貧しい家庭に生まれ、人の子として苦しみや悲しみを体験されました。そして律法を全うした義人として全人類の罪を背負い、十字架で身代わりに死んで罪の贖いを完成されました。その陰には、シメオンやアンナのように、神の御計画を知り、御心の成就のために神に心を合わせて祈る人々がいたのです。
2.シメオン:神の御声を聞く信仰と祈りの人
ルカ2:25~27
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
① 正しい敬虔な人
シメオンは全能の神とその約束を信じ、イスラエルに神の正義がなされ、イスラエル国家に真の平和がもたらされること、つまりイスラエルの慰められることを待ち望む正しい、敬虔な人でした。また、彼は民の苦しみに心を痛め、民が贖われてその貧困や病苦や悲しみから解放され、祝福を取り戻すことを願う憐れみ深い人でした。
シメオンの願いは、キリストが現れて民族全体を救ってくださることでした。それは、メシアが治める御国が訪れ、神とイスラエル民族との関係が回復し、罪ゆえの呪いが取り除かれて、神の祝福を取り戻すことです。蛇の頭を踏み砕く女の子孫(創世記3:15)によって神の御計画が実現し、神の義が現され、人類に約束された祝福が実現します。シメオンに与えられた祈りの重荷は、全人類の救いと解放につながっていました。
② 聖霊によって祈り、聖霊の御声を聞き、聖霊に導かれる人
シメオンという名前は、「聞く」を意味する「シモン」からつけられています。彼は神の語りかけを聞き、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられました。年老いたシメオンは、自分が生きているうちに救い主が生まれるという神のご計画に励ましを得て、約束の言葉を握り、人知れず祈り続けました。彼は救い主を見るという目的をもって生きたのです。
神からの語りかけを聞いて応答し、神に聞いた言葉を用いて祈ることは神との人格的交わりです。神は1対1の個人的な関係を求め、秘密を明かして下さいます。これこそ祈りの生活の喜びです。
神の御前に遜り、真実な心で神に仕え、聖別された生活を送るシメオンに、聖霊がとどまっておられました。そして、救い主誕生の実現のために見張り、とりなし祈るという特別な使命のため、聖霊の油注ぎが与えられていました。
彼の生活は聖霊に導かれていました。聖霊によって願いが与えられ、聖霊によって祈らされ、聖霊に導かれて宮に入り、聖霊によって幼子が救い主であると教えられ、祈りの成就を知ったのです。
神に信頼して祈り続けたシメオンに、幼子イエス様の誕生はどれ程の喜びと感謝をもたらしたことでしょう。祈りは人からの報酬(人からの称賛や金銭的報い)を求めません。隠れた所で父なる神に祈る真実な親密な祈りに、隠れたところで見ておられる父なる神が報いてくださる(マタイ6:5~6)のです。
③ 神に信頼し、信仰によって感謝する人
ルカ2:28~32
シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
聖霊のお告げの通りに救い主を見たことは、シメオンの人生で最大の喜びだったでしょう。約束が成就し、願いが実現したのです。もう、いつ死んでも心残りはありません。
シメオンは、この幼子が成長して福音を語る姿を見ることはできません。救い主の公の働きを見ることも、癒し・奇跡を体験することも、直接教えを聞くこともありません。十字架上の身代わりの死と復活も昇天も、見ることはないのです。今度お会いする時は、この幼子が全世界の王として再臨され、メシア王国が始まる時です。そしてその実現は遠い将来のことなのです。
シメオンは、イエス様の将来の姿、メシアとしての公の働き、将来の栄光を信仰の目で見ていました。彼は、聖書のすべての預言は必ず成就し、約束は実現する、神の計画は必ず成ると知っていました。
約束通り救い主を見せてくださった神は、万民の前に備えられた救いを必ず実現して下さいます。この幼子は、異邦人を照らす啓示の光となり、イスラエル民族だけでなく異邦人をも救われるのです。そしてイスラエルの王は全世界を治める王、御民イスラエルの栄光です。
シメオンは自分の使命を果たし、幼い王を拝しました。時が来たら、シメオンは復活して御国に入り、王から賞賛のお言葉を頂くことでしょう。
神と神の真実に全き信頼を置き、神の言葉に絶対的な信仰を置く人。見ないで信じ、忠実に使命を果たす人に神が報いて下さるのです。
④ 神によって預言する人
ルカ2:34~35
シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
シメオンは聖霊によってイスラエルの民に起こることを預言しました。
救い主に対する応答によって個人と国家がどうなるか、イエス様をメシアと信じない人は倒れ、悔い改めてイエス様を信じる人は立ち上がることができます。イスラエル国家はイエス様を拒否したために倒れ、国民は虐殺され、離散しました。やがて神の時が来て、イスラエルは民族的にイエス様を信じて贖われ、神の国が立ち上がり、主を王としてお迎えすることになります。
十字架で死なれた救い主は、イスラエル民族から拒絶され、人々の反対にあうしるしです。
罪を悔い改め、イエスを神の子・救い主と信じ、遜って神の恵みを受け取って永遠のいのちに入るのか、それとも拒絶して永遠の滅びに入るのか、神の救済方法をめぐって全世界が分裂します。真の神に愛と信仰を持って立ち返り、信仰を守り通すのか、それとも、この世的な繁栄と肉の命を守るためにい永遠の救いを拒絶するか、多くの人の心のうちの思いがあらわになるのです。イエス様が救いの岩になるのか、躓きの石になるのか、終わりの時まで全人類が試されます。
3.アンナ:聖別された女預言者
ルカ2:36~38
また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。
① 神に献身した断食祈祷
アンナは結婚して7年後に夫に死に別れました。当時の慣習により十代で結婚したなら、84歳になるまで60年位、未亡人として暮らしたことになります。
イスラエル社会では、やもめ・孤児・在留異国人を支え、養うことが律法に定められていますが、それでも、アンナは一般の民衆以上に貧しい生活を送っていたことでしょう。当時は女性が一人で自立することは難しく、遊女として生計を立てる女性もいました。ローマ兵や取税人からは酷い扱いを受け、虐げられていたかもしれません。
アンナは84歳という高齢になるまで、宮を離れず、夜も昼も断食しながら祈り、神に仕えていました。彼女が健康で長生きできたのは、祈りの使命を果たせるように、神様がアンナの心と体と生活を守っていて下さったからです。アンナという名前の意味は「恵み」です。まだ若かったにもかかわらず、再婚もせず、身も心も清く保ち、神の御計画のために献身したアンナを、神は恵みによって支え続けてくださったのです。
② 女預言者
アンナもイエス様に気づくとすぐに近づいてきて、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この赤ちゃんが救い主であると伝えました。以前から預言者として活動していたアンナの語る言葉は、神からの確かな証しとして、民衆を励ましたことでしょう。
エルサレムはヘブライ語で「イェル・シャライム」、「平和の神」、「神による平和の都」という意味です。ダビデの町があるイスラエルの首都であり、神ご自身が選ばれた永遠の神の都です。将来、ダビデの子孫であるメシアが王座に着かれ、世界をエルサレムから支配されることになります。神が臨在され、神が人と共に住み、民を祝福をしてくださる場所がエルサレムです。
当時のエルサレムは、異邦人のローマ帝国とヘロデ王によって政治的に支配され、偽宗教指導者たちによって汚され、すっかり落ちぶれていました。神の都から神が締め出され、都の民は虐げられていたのです。
民衆は、エルサレムが回復されて神の栄光に輝き、全ての異教徒たちも悔い改めて真の神を礼拝すること、「アブラハムの子孫がエルサレムから全世界を祝福する」という約束が実現することを待ち望んでいました。
イザヤ62:11~12
見よ、主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」彼らは、聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、追い求められる者、見捨てられることのない都と呼ばれる。
エルサレムの救いと解放、神の主権による統治は、神ご自身の大きな関心事です。神はエルサレムを追い求めておられます。やがて神の正義がなされ、エルサレムに真の平和が訪れます。イスラエル民族は贖われ、約束されていた祝福が全世界の悔い改めた人々に、メシアによって実現するのです。
4.神は終わりの時代のシメオンとアンナを求めておられる
① エルサレムの所有権と支配権のために祈る
イスラエルは1967年に再建国しましたが、神殿の丘はまだイスラム教の支配下にあり、ユダヤ人が神殿域に入ることはできません。正統派や超正統派のユダヤ人は、嘆きの壁(神殿域を支える土台の壁)で、今も神殿崩壊を嘆き(彼らの黒い服装は喪服です)、メシア来臨と神殿再建とを祈り求めています。
イランは「イスラエルを地図から消す」と公言して核開発を進め、イスラム教過激派組織は「ユダヤ人を殲滅し、中東全体をイスラムの支配下に置く」と宣言しています。パレスチナの指導者たちは、「歴史上、エルサレムにユダヤ教の神殿は存在しなかった。ユダヤ人がイスラム教の聖地を侵略し、奪おうとしている。イエスは、ユダヤ人に殺されたパレスチナ人の最初の殉教者だ」と主張し、世界はそれらの偽りに耳を傾け、国連もイスラエルを侵略国として非難し続けてきました。
エルサレムは主の住みか、とこしえの安息の場所(詩編132:14)です。
エルサレムを分割してパレスチナの首都にしようという勢力と、エルサレムは分割できない神の都であると考えるイスラエルの間で、意見の一致を見ることはありません。もし合意できてエルサレムを二つに分割した場合、パレスチナの所有地となったオリーブ山にイエス様は再臨され、パレスチナの首都にある神殿の丘に、イエス様は住まわれるのでしょうか?
現在もエルサレム争奪戦は続き、イスラエルは民族と国家を守るために戦い続けなければなりません。主が再臨され、エルサレムが解放される時まで、シメオンとアンナの祈りは引き継がれ、祈り続けられなければならないのです。
イザヤ62:6~7
「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと主に求める者たちよ、休んではならない。主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」
「わたし」は神ご自身、「主」は「ヤハウェ」です。「主」イエス様が再臨されて人間的な争いに決着をつけ、エルサレムを永遠の神の都として確立し、全地の誉れとする時まで、祈り手たちは祈りを止めてはいけないと神が命じておられます。
② 再臨と神の人類救済計画完成のために祈る
イスラム教でもイーサ(イエス様のこと)が再臨しますが、それは、バプテスマのヨハネのように、マフディ(イスラム教のメシア)来臨に道を備えるためです。コーランによると、イーサは自分を神としたために裁かれて死に、神の前に立った時、自分を神の子と自称した罪を悔い改めたことになっています。そして今度地上に来る時は、自分を「神の子・主」と崇めるクリスチャンや、聖書の神を信じるユダヤ人を、アラーに帰依するように説き伏せ、従わないものを殺すとされています。
主の再臨前には産みの苦しみ、神の計画が実現するための陣痛があります。人工的に引き起こされる災害、計画的民族紛争、生物兵器や新しいタイプの戦争、偽パンデミック、人身売買と不法な臓器売買・・・これまで以上に多くの命が失われることでしょう。
ノアの洪水前には神の定めた性のルールが踏みにじられ、人の子と神の子(堕天使たち)との交配によって神の被造物ではない「ネフィリム」が造られ、悪魔はその新人種によって「純粋な人間」を滅ぼし、メシアの家系を断とうとしました。終わりの時代にもそのようなことが起こるでしょう。
偽りの父・悪魔は、人類を騙し、人類を滅ぼし、主の再臨を妨げるために休むことなく働いています。やがて信仰を守ることが困難な時代が来て、背教者が起こり、教会は変質し、聖書的なレムナントは僅かになるかもしれません。本当に神につながる真の祈り手は少ないでしょう。
神が祈り手を捜し、揺り起こしておられます。イスラエルと異邦人の救いのために、エルサレムの贖いのために、神の御心とご計画の実現のために、主の再臨まで自分を聖別して祈るシメオンやアンナのような人々を。
今、世界で何が起こり、どのように進んでいるのか。コロナ禍の裏に何が隠されているのか。中東と世界の動きを見張り、理解し、騙されないで祈ってください。そして純粋な信仰を守りぬくために、互いに励まし合い、主の再臨を望みつつ、終わりの時代を生き抜きましょう。
Ⅰペテロ4:1~2、7~11
キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。・・・ 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。
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