再臨と終末(4)再臨についてのたとえ話③「麦と毒麦」「地の刈り取りと怒りのぶどう踏み」

終末論
再臨についてのたとえ話「収穫」
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主の再臨のもう一つのたとえは「収穫」です。主の日(救いと裁き)は収穫にたとえられています。今回はマタイの福音書から「麦と毒麦の刈り取り」、黙示録から「地の刈り取りと怒りのぶどう踏み」について学んでいきます。

1.麦と毒麦のたとえ話 (マタイ13:24~43)

これは、「天の御国の奥義」としてイエス様が語られた7つのたとえ話の中の一つです。

ある人が自分の畑に良い麦を蒔いたが、人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔きました。同じ畑に良い麦と毒麦が一緒に育ち、麦が実り始めた時、実の無い毒麦の存在に気が付きます。毒麦を抜き集めようと申し出たしもべたちを、主人が止めます。

マタイ13:29~30
 主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。

このたとえ話の意味について、イエス様が弟子たちに解き明かされます。

マタイ13:37~39
 「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。

種を蒔く人=イエス様、  敵=悪魔、  畑=この世界、  収穫=世の終わり
良い種=御国の子供たち、  毒麦=悪い者の子供たち、  刈り手=御使いたち

① 良い麦(御国の子どもたち)の収穫

世の終わりになると、まず悪魔に従う悪い者の子どもたちが集められて焼かれます。そしてイエス様に従う御国の子どもたちが集められて倉に納められます。を集めて主人の倉に納める「刈り手」たちは御使いたちです。

このたとえ話と、再臨と終末(1)で学んだ「携挙」を比較してみましょう。

マルコ13:26-27
 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます

イエス様が天の雲に乗って現れる時、終わりのラッパが鳴ってキリストにある死者がよみがえり(Ⅰコリント15:52)、生き残っている者も朽ちないからだに変えられ、一緒に空中に引き上げられます(Ⅰテサロニケ4:16~17)。

ラッパの響きと共に御使いたちが遣わされ、選びの民は主のもとに集められ(マタイ24:31)、いつまでも主とともにいるようになります。これが良い麦の収穫にあたります。
刈り取った良い麦(御国の子どもたち)が収められる神のは「御国」ですね。天の御国神の国父の御国とも言われます。御使いによって携挙され、運ばれた子供たちは、いつまでも主とともに御国に住みます。倉とは、御国の王であるイエス様が地上に戻られる時、一緒に天から下って来る新しいエルサレムであると思われます。新しいエルサレムは、神の幕屋が人とともにあり、神が民とともに住まわれる場所(黙示録21:3)だからです。

② 毒麦(悪い者の子どもたち)の焼却

収穫の時期になったら、まず火で焼くために毒麦(悪い者の子どもたち)が集められます。火で焼かれるとは裁かれることを表しています。

マタイ13:40~43
 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、まずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

毒麦は、つまずきを与える者や不法を行う者たちです。

麦と毒麦はよく似ていて、収穫の時期までは区別が難しいそうです。苦みのある雑草で、実り始める頃になると、穂が細いので麦ではないとわかります。ところが毒麦の方が性質が強く、早く育ち、地中で根を張り、麦の根と絡んでしまうので、毒麦を抜くと、麦の根が切れたり、一緒に抜けたりします。それで麦と毒麦は最後まで一緒に育てられます。

教会にも偽信者が入り込んでいるかもしれません。世の終わりには、非聖書的な教えや偽りのしるし・不思議でクリスチャンを惑わし、主から引き離そうとする偽教師や偽預言者が多く起こると言われています。主が来られるまで、本物も偽物も一緒に礼拝し、活動しているかもしれません。主が来られたら、御国の子と偽物を分け、それぞれに報いをされます。

 世とはもともと「天」に対して人の住む「」を指し、人間が生存し、生活を営み、活動する領域を指す言葉です。と訳されているギリシャ語のアイオンは「時代」という意味で、終わりは「完了」を意味します。ですから「世の終わり」とは「この時代が完了した(終了した)」という意味です。

人間の堕落によって世(神の創られた世界と人間)は悪魔の支配下に入り、世の人々は神を憎み、神に反抗し続けました。それでも神は世を愛し、さばきから救うためにメシアを遣わされました。世の終わりが近づくにつれ、この世の支配者たち反キリストの勢力はますます増大し、世はますます悪化していきます。そしてついに神の忍耐が終わり、悪魔の支配を終了させる時が来ます。

主が天から下って来られ、キリストにある死者の復活・栄化が起こります。

Ⅰコリント15:24~26
 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。

 この世の終わりとは、悪魔が「この世の神」として支配している今の時代が終了することです。一般的に考えられているような地球の破滅や消滅ということではありません。イエス様は父なる神様のために悪魔から被造世界を奪い返し、悪魔を閉じ込め、王として全世界を支配されます。この時、「最後の敵である死」が滅ぼされます。つまり、死者の復活と栄化が起こります。

麦と毒麦のたとえ話とこれまで学んだことから、世の終わりについて次のようなことがわかります。

・イエス様は人となってこの世界に来られ、神の国の福音を宣べ伝え、十字架の死を通して御国に入る道を開いて下さいました。主はやがて王として再臨されます。福音を信じてイエス様を救い主と信じ、新しく生まれた御国の子どもたちは、御国の王の帰還を待ち望んでいます。
・悪魔は悪い者たちを送り込み、御国の子どもたちをつまずかせたり、人々の救いを妨げたり、不法を行わせたりします。
・世の終わりにイエス様が来られ、御使いを遣わします。御使いは、悪魔に従う者たちを集めて火で焼き、御国の子どもたちを父の御国に運びます。義とされた神の子供たちは永遠の御国で栄光に輝きます。

 世の終わりは、御国の子どもたちが収穫され、父の御国(天の御国)を相続する時です。悪い者の子供たちに投げ込まれて焼き滅ぼされてしまいます。

③ 神の国の到来

神に敵対する世のあらゆる勢力が滅ぼされ、主の大いなる日の恐ろしい裁きが終わると、神が正義と公義をもって治める平和で祝福された神の国が訪れます。

 神の国は聖書の中心的テーマです。「信仰の目的地シリーズ」で学んだように、キリスト信仰のゴール、クリスチャンの目指す最終目的地は、神と贖われた民がともに住む永遠の神の国です。今は天にある神の都「新しいエルサレム」はやがて天から地上に下って来ます。そこには子羊の御座といのちの木があり、いのちの書に名前の記されている者だけが入ることができます。最初の人アダムが罪を犯してエデンの園を追放されてから、長い時間をかけて神様が備えて来られた、神と人が共に住む永遠の楽園の実現です。

 エペソ1:9~11、20~22
 (神は)みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。・・・神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりではなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを教会にお与えになりました。

イエス様が全ての御使いたちを伴って再臨されると、が改まって、神が支配される新しい世界が始まります。
信者のからだが贖われて新しい栄光のからだに変えられるように、天地も贖われて新しい天と新しい地に変えられます。エルサレムも贖われ、天から下って来る新しいエルサレムが全世界の首都となります。こうして、「天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」

イザヤ65:17~18
 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。だから、私が創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。

 今の世が終わると「天の御国」が到来して新しい世になり、イエス様が王座に着き、エルサレムから全世界を支配されます。主に従う者たちは復活して、永遠のいのちと永遠の御国を報いとして受け取ります。神の子たちには御国での支配権も与えられます。

2.地の刈り取りとぶどう踏みのたとえ(黙示録14:14~20)

黙示録14章では、主の再臨の日が地の刈り取り怒りのぶどう踏みにたとえられています。

① 地の刈り取り

黙示録14:14~16
 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
そこで、雲に乗っておられる方が地にかまを入れると、地は刈り取られた。

イエス様が雲に乗って現れ、かまで地(世界)を刈り取り、実った穀物(御国の民)を収穫します。先ほどの麦と毒麦のたとえとの関連で言うなら、良い麦を収穫するのです。穀物の刈り入れは、主の再臨の日が来て、選びの民が御国に入ることを表しています。

② 怒りのぶどう踏み

 黙示録14:17~20
 また、もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」
そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。

御使いがのぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れ、都の外で踏みます。都はエルサレムです。ぶどう踏みは、エルサレムの外で敵が滅ぼされることを表しています。

怒りの酒ぶねを踏まれる方については、黙示録19章に詳しく記されています。

黙示録19:11~16
 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方はに染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧されるこの方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。

天が開かれて、「神のことば」であり「王の王、主の主」であるイエス様と、天にある軍勢が現れます。鉄の杖神の怒りや懲らしめを表し、酒ぶね神の審判を表しています。「万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏む」は、イスラエルに攻め込んできた反キリスト軍が、主の怒りによって全滅させられることを意味しています。

黙示録19:17~21
 また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」
また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

 獣にせ預言者にはしるしを行う汚れた悪霊が入っていました。そして、万物の支配者である神と戦おうとして、全世界の王たちをハルメギドに集めました(黙示録16:13~16)。ハルマゲドンとは、ハルメギド(メギドの丘)での戦いを意味します。過去の歴史でも多くの戦いがここで起こりました。彼らは集結し、エルサレムを奪うために攻め上ろうとしていたのです。

詩編2:1~9
なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、と、主に油をそそがれた者とに逆らう。「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。「しかし、わたしは、わたしの王を立てたわたしの聖なる山、シオン。」
「わたしはの定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」

イエス様は世の終わりに再臨され、神に逆らう王たちとその軍勢を滅ぼされます。それが「万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏む」ということです。

白い雲に乗ったイエス様が、地にかまを入れて穀物(御国の民)を刈り取ります。御使いが地のぶどうの房(悪人)を刈り集め、神の激しい怒りの酒ぶねに投げ入れます。万物の支配者である神(イエス様)が、激しい怒りを持って酒ぶねを踏み、悪人を滅ぼされます。世の終わりは、穀物が刈り取られ、ぶどうが踏まれる救いと裁きの時なのです。

③ 天の戦いと地上の裁き

  「天にある軍勢」は御使いたちを指していると思われます。
麦と毒麦のたとえでは、毒麦を抜き集める者、つまり、悪に仕えていた者を御国から取り集めて火の燃える炉に投げ込む「刈り手」御使いでした。
主イエスは「炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れますⅡテサロニケ1:7)。」また、「人の子は父の栄光を帯びて、すべての聖なる御使いたちを伴って来る」とも書かれています(マタイ25:31、マルコ8:38、ルカ9:26)。

地上の王たちとその軍勢の背後には、多くの悪霊(堕天使たち)がいて、主に仕える御使いたちはこの堕天使たちと戦うのかもしれません。地上の王たちとその軍勢は、イエス様の御口から発せられる御言葉によって滅ぼされてしまうのでしょう。

Ⅱテサロニケ1:7~9
そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

神様は御言葉によって世界を創造し、御言葉によって生き物を造られました。人は、神の御口から出たいのちの息(霊)によって生きる者となりましたが、神がその霊と息をご自分に集められたら、全ての肉なる者はともに息絶えてしまいます(ヨブ34:14~15)。

④ 火と硫黄で苦しめられる

クリスチャンによる伝道が終わると、御使いが伝道します。悪魔に従う者は永遠に滅ぼされる、悔い改めて神に従うようにと最後のチャンスを与えます。

黙示録14:9~11
 また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。
「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。」

王たちとその軍勢は、御使いの最後の警告を無視して獣に従いました。彼らは、獣の像を拝む者は、神の怒りによって滅ぼされ、火と硫黄で苦しめられることを知りながら獣の刻印を受け、あえて神に反逆したのです。

悪人たちが火によって焼かれてしまうことは旧約聖書に預言されていました。

イザヤ66:15~16
 見よ。まことに、は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。実に、は火をもってさばき、その剣ですべての肉なる者をさばく。に刺し殺される者は多い。
マラキ4:1~3
 見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。──万軍のは仰せられる──しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。──万軍のは仰せられる──

3.神に敵対する者たち

神様は、真の神を証しする民族としてイスラエルを選び、諸国民に対する祭司の王国として育て、聖書を書かせてみことばを伝えさせました。そしてイスラエル民族からメシアを生み出し、十字架で人類の贖いを実現され、民族に関わらず全ての人に救いの道を開いてくださいました。

イエス様はダビデの子孫、イスラエル民族に約束されていたメシアとして生まれ、ユダヤ人の王として十字架に付けられ、贖いを成し遂げられました。神様の人類救済計画は、アブラハム・イサク・ヤコブとその子孫たちを通して進められてきたのです。

悪魔は、イエス様の誕生を阻止することができませんでした。また、十字架による身代わりの死と人類の贖いを阻止することができませんでした。

イエス様は世の終わりに再臨され、エルサレムの王座から諸国を支配されます。

その時、悪魔は縛られ、底知れぬところに閉じ込められます(黙示録20:3)。悪魔は千年後に牢から解き放たれ(20:7)、地の四方にある諸国の民(ゴグとマゴグ)を惑わして都を攻撃しようとして取り囲みますが(20:8~9)、最終的に火と硫黄の燃える池に投げ込まれて、永遠に苦しめられることになります(20:10)。

悪魔は自分の運命を知っているので、何としてでもイエス様の再臨を阻止し、世界の支配権を握り続け、自分の裁きの時を引き延ばそうとします。ですから、悪魔は人々を惑わし、イスラエル民族とエルサレムを攻撃させるのです。

天が開かれ、イエス様が御使いを従えて下って来られます。御使いたちが穀物を刈り入れ、ぶどうの房を神の激しい怒りの酒ぶねに投げ込みます。
獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けた者は、神の恵みを拒否し、悪魔に従ったのです。最終的な結末を知りながら、悔い改めなかった人々は、主が来られた時、神の怒りによって滅ぼされてしまうのです。

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