今回は小預言書「ヨエル書」から、「ヨエルが見た主の日」と題してメッセージします。「主の日」については、「主の日」以外にも「その日」や「終わりの日」など、多くの預言者たちが様々な表現で伝えています。皆同じ日のことを預言しているのですが、この日はいったいどういう日なのでしょうか、何が起こるのでしょうか。そして、私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか。みことばからその意味を探ります。
御言葉箇所 ヨエル書1:1-7、15
1:1 ペトエルの子ヨエルにあった【主】のことば。
1:2 「長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたがたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。
1:3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。1:4 噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。
1:5 目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ、すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。
1:6 ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数えきれない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。
1:7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。・・・」1:15 ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。
1.いなごが表すもの
ヨエルが見たもの
「長老たちよ、これを聞け。」ヨエルの預言は、長老たち、つまり民の指導者への警告で始まります。そして長老たちだけでなくすべての民へも警告します。先ずリーダーに、その次に一般の人にという順番は、この警告をすべての人に伝えて共有してもらうのに、とても有効な方法です。今、目の前で起こっているいなごの害が、今まで経験したことのないものであり、単なる自然災害ではないことを悟れと促しています。そして、それを今の世代だけでなく、後の世代へも語り継げよと警告しています。それはやがて来る、主の日、世の終わりの象徴であるからと言っているのです。
ヨエルは何を見ているのでしょうか。いなごです。ただ、普段は群れをつくらないいなごが大集団となって襲ってきたのです、これはただならぬことです。そこから、主の民イスラエルを攻めてくる国、力強く数えきれない軍隊をいなごに重ね合わせて見ています。ぶどうの木もいちじくの木もイスラエルの民の象徴です。イスラエルの民が敵の侵略によって、木っ端にされ、丸裸に引きむかれ、投げ倒されています。いなごに食い尽くされるように、略奪され、殺され、滅ぼされる様子を神様から見せられているのです。主の日、世の終わりの裁きの幻です。その日が来ようとしているのです。
4種類のいなご
ここで4種類のいなごが出てきます。
ヨエル書1:4
噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。
参考までに2021年3月に東アフリカから中東を襲ったいなご(砂漠バッタ)の写真です。葉はもちろん、実や茎も、地上に生えているものをすべて食い尽くしながら移動していきます。彼らが通った後は、荒れ果てた死の世界です。
話をもどすと、ここには、4種類のいなご、或いはその仲間が出てきます。『噛みいなご』、『いなご』、『バッタ』、『その若虫』。新共同訳を見ると、『かみ食らういなご』、『移動するいなご』、『若いいなご』、『食い荒らすいなご』となっています。いろいろな『いなご』がいることが分かります。
実際、イスラエルでは、いなごに関して、9種類の呼び名があるそうです。そのうちの4種類のいなごがここにでてきますが、この4種類は何を意味しているのでしょうか。何度も何度も脱皮を繰り返しながら成長していく姿を表しているともとれますが、神の刑罰の凄まじい破壊の様子を表しているのではないでしょうか。エゼキエル書14:21には、神が送る4つの刑罰(剣、飢饉、悪い獣、疫病)が書かれています。4という数字は、神の刑罰があらゆる面にわたり、逃れる者が無いことを示しているのでしょう。
神の刑罰の現れ
出エジプト記では、神の裁きとしていなごが登場します。
出エジプト記10:13-15
10:13 モーセはエジプトの地の上に杖を伸ばした。【主】は終日終夜、その地の上に東風を吹かせた。朝になると東風がいなごの大群を運んで来た。
10:14 いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。これは、かつてなく、この後もないほどおびただしいいなごの大群だった。
10:15 それらが全地の表面をおおったので、地は暗くなり、いなごは地の草と、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くした。エジプト全土で、木や野の草に少しの緑も残らなかった。
イスラエルの民を解放しないエジプトに対し、いなごの害が主の裁きとして下されています。ヨエルは目の前のいなごの大群を見て、この出エジプト記のみことばを思い出したことでしょう。主の裁きが来ると悟ったのです。
サタンの軍勢
ヨハネの黙示録にもいなごが出てきます。第5のラッパの裁きに出てくるいなごです。
ヨハネの黙示録9:1-11
9:1 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。
9:2 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、・・・
9:3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。
(中略)
9:7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。
9:8 また、女の髪のような毛があり、歯は獅子の歯のようであった。
9:9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は、馬に引かれた多くの戦車が戦いに急ぐときの音のようであった。
9:10 彼らはサソリのような尾と針を持っていて、その尾には、五か月間、人々に害を加える力があった。
9:11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。
このいなごは、その姿かたちや持っている力から、あきらかにこの世のものとは思えません。
更に、普通のいなごとちがうところがあります。それは、彼らには王がいることです。
箴言30:27
「いなごには王はいないが、みな隊を組んで出陣する。」
虫の中には蜂のように群れを作るものがあります。1匹の女王蜂を中心に数百匹が群れを作ります。しかし、いなごは通常群れを作りません。守るべき王(女王)がいないからです。しかし、ここに出てくるいなごたちには、底知れぬ所の使いを王としています。底知れぬ所の使いとは、悪魔、サタンのことです。
彼らは、いなごの形をしていますが、サタンを王とし、サタンに仕える悪霊なのです。神は、世の終わりの大患難の時には、サタンの軍勢さえも裁きの器として用いられます。
ヨエルがいなごを見た時、このような恐ろしい裁きの軍勢を重ねて見たのでしょう。
2.裁きと救い
裁きとしての主の日
ヨエル書1:15
ああ、その日よ。【主】の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。
【主】の日とは、全能者である【主】による裁きがなされる日です。悪を滅ぼし、汚れた世をきよめる日ですが、人間の目には、恐ろしい破壊の日に映ります。ヨエルは、その恐ろしさを様々な言葉で表現しています。「全能者による破壊の日」(1:15)。他にも、「闇と暗闇の日・雲と暗黒の日(2:2)」、「偉大で、恐ろしい日(2:11)」。2:10を見ると「地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星も輝きを失う。」とあり、その日は大地震を伴った大きな天変地異が起こります。光のない暗闇の世界。死を思わせる暗闇の世界となるのです。
先ほどの出エジプト記では、神の裁きとしていなごの大群が出てきますが、その後闇も出てきます。
出エジプト記10:21-23a
10:21 【主】はモーセに言われた。「あなたの手を天に向けて伸ばし、闇がエジプトの地の上に降りて来て、闇にさわれるほどにせよ。」
10:22 モーセが天に向けて手を伸ばすと、エジプト全土は三日間、真っ暗闇となった。
10:23 人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。・・・
ヨハネの黙示録にも裁きとしての闇が出てきます。世の終わりの大患難の時代には、獣と呼ばれる反キリストが支配する最後の3年半の期間に様々な裁きがくだされますが、その中の裁きの一つとしてある期間、世界が暗闇に閉ざされることが書かれています。
ヨハネの黙示録6:12-14a
6:12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。
6:14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、・・・
ヨハネの黙示録8:12
第四の御使いがラッパを吹いた。すると太陽の三分の一と、月の三分の一、また星の三分の一が打たれたので、それらの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、夜も同じようになった。
ヨハネの黙示録16:10
第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
第6の封印、第4のラッパ、第5の鉢で、裁きとしての闇が3回出てきます。この3つの裁きは、別々の裁きと解釈することもできますが、3つの闇の間に光が回復することが書かれていないこと、その後、世界が闇から光に回復されるのが、キリストの再臨の時であることから、同じ一つの闇の裁きを別々の角度から描いているとも解釈できます。
重要なのは、この闇の裁きは神の怒りであるということです。
ヨハネの黙示録6:17
「神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」
神の裁きは、汚れた世、罪に対する神の御怒りの現れです。神から離れ、裁かれる人々にとっては、恐怖におののく、恐ろしい日なのです。
悔い改め
このような神の裁きが近づいている中で、ヨエルは神からの語り掛けを聞き、これを預言として伝え、人々に神に立ち返るよう悔い改めを説きます。
ヨエル書2:12-13
2:12 「しかし、今でも ─ 【主】のことば ─ 心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」
2:13 衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、【主】に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。
主から離れた民に、主の日の裁きが下されることが幻で示されている中で、しかし、まだ救われるチャンスはある、神は人々が立ち帰るのを待っておられる、今こそ悔い改めよ、というのです。
2:12「しかし、今でも ─ 【主】のことば ─ 」と、今が主から与えられた悔い改めの時であると、主のことばをそのまま伝えています。今、まさに主からの預言を聞いているこの時に、主に立ち帰れ、チャンスを逃すな、と。そして、「心のすべてをもって」という主のことばを、ヨエルは「衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。」と表現しています。衣を引き裂くのは、激しい感情の現れです。頑なな心を砕いて、悔い改めよと。
そして、憐れみ深い主に望みを置いて、主に立ち帰れ、 “主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。“と説いています。
この言葉は、主がモーセに直接語られた、出エジプト記34:6の御言葉「主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富む」の引用です。民に対する預言であると同時に、主に対してのとりなしの祈りなのです。
裁きの幻
この後、3章を見ると、主の日の裁きの様子がもう少し明らかになります。
ヨエル書3:1-2
3:1 「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、
3:2 わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。
主の日には、主から離れたイスラエルの民は、主の裁きに遭いますが、この時にはイスラエルだけでなく、すべての国の民も裁かれます。裁きの器としてイスラエルを攻撃した民だけでなく、すべての民が一つところに集められ、主によって裁かれます。
その場所は、判決の谷(ヨエル書3:14)と呼ばれるヨシャファテの谷です。
エルサレムの神殿の丘とその東にあるオリーブ山との間にある、現在ではキデロンの谷と呼ばれるところです。ここでは、イスラエルを迫害した者がその行いに応じて裁かれます。
マタイの福音書では、イエス様が裁き主として再臨される時のことが書かれています。
マタイの福音書25:31-33
人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。
そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、
羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
御国の王であるイエス様ご自身が、一人ひとりを羊とやぎに取り分けます。裁きの基準は、「わたし(イエス様)の兄弟たち、それも最も小さい者たち(イスラエルの民)」を祝福したか、迫害したかということです。
ヨハネの黙示録を見ると、イスラエルに攻めてきた反キリストの軍勢が、この谷で神の憤りを受けて滅ぼされることが書かれています。
ヨハネの黙示録14:19-20
14:19 御使いは地上に鎌を投げて、地のぶどうを刈り集め、神の憤りの大きな踏み場に投げ入れた。
14:20 都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。すると、血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。
裁きの後の世の回復
主の日は、恐ろしい裁きの日ですが、しかし、裁きだけで終わるのではありません。ヨエルは主の日の裁きを見た後、主が回復させてくださる新しい世界を見ています。
ヨエル書3:18
その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉が【主】の宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。
これはイエス様が再臨された後の御国の情景です。主の宮、神殿から泉が湧き出ています。預言者エゼキエルが幻でみた生ける水の川です。
エゼキエル47:1、8-10
47:1 ・・・見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。47:8 彼(御使い)は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。
47:9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。
47:10 漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海の魚のように、種類が非常に多くなる。
罪が清められた御国では、生ける水によって、全てが生きます。現在は魚が棲むことができない死海(アラバの海)が、豊富な魚がいる漁場になるというのです。かつてあったエデンの園、いのちにあふれていたエデンの園が、地上に回復されるのです。
このように、神の裁きは、いのちにあふれる御国をもたらすために、今の世の悪、罪を取り除くために行われるのです。
3.終わりの日に注がれる神の霊
御霊の注ぎによる預言・夢・幻
主の日のことで、ヨエルは、もう一つ重要な預言をしています。
ヨエル書2:28-32
2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。
2:29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。
2:30 わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。
2:31 【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:32 しかし、【主】の御名を呼び求める者はみな救われる。
神の霊、聖霊が注がれると、息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見ます。息子や娘が預言をするのです。預言は聖霊からの語りかけや思いの中に示された神からの啓示を、人が自分のことばで語ることです。また、老人は夢を見、青年は幻を見るとありますが、これらは聖霊が与える啓示、映像を寝ている時の夢や、起きている時の幻として見るということです。神の霊がともいたヨセフは夢で神からの啓示を受けました。この預言書を書いたヨエルを始め、預言者たちは、神から幻を見せられてそれを預言のことばとして書き記しました。
「その日」、つまり、世の終わりの時にはどのようなことが啓示されるのでしょうか。聖霊は知恵と悟りの霊、主を恐れる、知識の霊(イザヤ11:2)であると書かれています。また、神を知るための知恵と啓示の御霊(エペソ1:17)と書かれています。このことから、人の理解を越えた神の救いのご計画(メシアの十字架と復活、裁きと御国の到来)のことではないでしょうか。そのヒントが使徒の働きに書かれています。
ペンテコステの日の聖霊は知恵と啓示の御霊
使徒の働き2章を見ると、聖霊が降ったペンテコステの日のことが書かれています。弟子たちはこの日、聖霊を受けて、異言を語り始めました。異言とは習ったことのない外国語のことです。彼らは異言で、神の大きなみわざを語りました(使徒の働き2:11)。神の大いなるみわざとはどのようなことを語ったのでしょうか。弟子たちは、この直前、イエス様の十字架刑を目撃し、そして、死んだイエス様が三日目に復活したことを目撃しました。復活の主の手足と脇腹の傷跡を見、復活した主イエスと語り合い、共に食事をしました。復活の証人となった弟子たちは、この主の十字架と復活のことを異言で語ったのでしょう。
聖霊に満たされたペテロは、聖霊からの知恵と啓示をいただいて、このできごとはヨエル書で預言されたことが今実際に起こったのだと、証ししています。さらに続けて、旧約聖書の詩篇を引用して、数々の奇跡を行ったナザレのイエスが約束の救い主メシヤ・キリストであること、そのイエスが聖書の預言のとおり、神の大能の力によって復活したことを証ししたのです。ペテロは、ガリラヤ地方つまり、田舎の漁師だった男です。3年半イエス様と行動を共にしましたが、無学な男です。その無学な男が、群衆を前に、聖書からみことばを引用して、イエスがキリストであると解き明かし、聖霊が降ったことを預言書から解き明かしているのです。そして、このキリストをあなた方は十字架につけたのだと、群衆に悔い改めを迫ったのです。知恵と啓示の御霊によらなければできないことです。さらに言えば、このペテロの説教を聞いて3千人ほどが悔い改めに導かれましたが、ここにも生ける神の霊、聖霊が働いていることが分かります。
新しい啓示
この時のペテロはヨエル書を引用しましたが、旧約の時代、預言者ヨエルには明らかにされていなかった新たな啓示を聖霊からいただいています。
使徒の働き2:16-21
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
2:20は、「主の大いなる輝かしい日」となっていますが、実は、引用したヨエル書では、ここは「主の大いなる恐るべき日」となっています。
ヨエルにとっては、主の日は恐ろしい裁きの日なのです。直前には太陽は闇に、月は血に変わるとあるように、天変地異が起こり、暗闇の世界が訪れます。そして、血と火と立ち上る煙。多くの罪人らが火によって滅ぼされる幻を見せられているのです。最後のクライマックスは、ノアの日のように、裁きの日として訪れる、だから、神に立ち帰り、神である主の御名を呼び求めよと悔い改めを迫っているのです。
一方、イエス様から御国の福音を聞き、神の救いのご計画を聞いていたペテロにとっては、主の日は、待ち望むイエス様の再臨の日であると示されたのでしょう。その直前には、ヨエルが幻で見たように天変地異を伴った子羊の御怒り、ヨハネの黙示録に記された大患難があり、世のすべての悪が滅ぼされるのですが、最後のクライマックスは、裁きで終わるのではなく、その後に訪れる、イエス様が義を持って治める神の御国であると。神と人が共に住む、平和と安らぎの永遠の御国です。主の日は、栄光に輝く王なるイエス様の再臨の日、主の大いなる輝かしい日なのです。
主イエスの御名を信じ、イエスの御名を呼び求める者はみな救われる。
ペテロは、主であり、キリストであるイエスの御名(ヘブライ語では「イェシュア」、“主は救い”の意)を呼び求めよと、群衆に悔い改めを迫り、そして、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるように、群衆を導いたのです。(使徒の働き2:38)
結び.主の日を待ち望む者へ
預言者ヨエルは、いなごの大軍を見て、主の裁きが来ると預言し、すべての人に神に立ち返るよう悔い改めを説きました。はたして、旧約の時代、ユダ王国はその後、バビロンによって滅ぼされ、預言が現実のものとなりましたが、この預言は、それだけでなく、イエス様が再臨される世の終わりの主の日の預言でもあります。
神から離れた人にとっては、主の日は罪を裁かれる大いなる恐るべき日ですが、救い主イエス様を信じ、罪赦された私たちにとっては、永遠の御国に入る大いなる輝かしい日なのです。改めて、主の救いに感謝を捧げましょう。
私たちは、この真理を多くの人に解き明かし、救いに至る「イエス」の御名を多くの人が呼び求めるようにしなければなりません。ペテロが聖霊に満たされて、群衆にキリストを証ししたように、私たちも聖霊の力をいただいて、多くの人に救い主の御名を宣べ伝えていきましょう。
主の日は近づいています。
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