ヨセフの人生から豊かな実を結ぶ秘訣を学ぶ

クリスチャンの成長
ヨセフと兄弟たちの再会
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ヤコブの11番目の息子ヨセフは父に溺愛され、「兄弟たちが自分を伏し拝む夢を見た」と話したために兄たちの恨みを買い、17歳の時に奴隷として売り飛ばされます。その後も理不尽な体験、不運な境遇が続きますが、30歳でエジプトの支配者となり、エジプトと周辺諸国を飢饉から救っただけでなく、カナンの地のヤコブ一族を救うことにもなりました。

ヨセフの人生(前半の奴隷としての苦難と後半の指導者としての栄誉)は、イエス様の初臨と再臨の型であり、クリスチャンの信仰人生のモデルであるとも言えます。ヨセフの二人の息子の名前「マナセエフライム」には、古い自分に死に、新しい人として神の使命に生きるというヨセフの決意が表わされています。

今回は、ヨセフの人生の3つの局面――「苦難の中での訓練」「新しい使命と新しい人生」「癒やしと関係の回復」――から、神様の御計画に生きる信仰人生について見ていきます。神様が信仰者をどのように訓練し、高め、祝福し、癒やしてくださるのか、「自分のいのちを憎み、自分の十字架を負ってイエス様に従う」人の祝福と成長と勝利について学びます。

創世記45:3~8
 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」
兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」
彼らが近寄ると、ヨセフは言った。
「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」

1 苦難の中での訓練

兄弟たちと22年ぶりに再会したヨセフが、ついに自分の正体を明かす時が来ました。ヨセフの不幸の原因を作った兄たちが、今やエジプトの統治者となったヨセフを伏し拝んでいます。

驚いたことに、ヨセフは兄たちの悪事を責めずに、それは神のご計画の中で許された必然的な出来事であったと、慰めと励ましの言葉をかけたのです。復讐心を抱いても当然のヨセフの心が癒され、変えられ、すでに兄たちを赦していることがうかがえます。ヨセフは神に用いられる立派な人格者として成長し、優れたリーダーに変えられていました。

逆教の中に神がともにおられる

ヨセフはエジプトで合計13年間の奴隷生活・囚人時代を送ります。

17歳の時からパロの廷臣ポテファルに仕え、側近の者として家と財産を管理しました。主はヨセフのゆえにポテファルの家を祝福されましたが、ヨセフは主人の妻の誘惑を拒否しため、偽りの証言で監獄に監禁されてしまいます。
その監獄にパロの献酌官長と料理官長が拘留され、ヨセフが二人の夢を説き明かした通りに、献酌官長は元の地位に戻され、料理官長は処刑されます。ヨセフは無実の自分が監獄から出してもらえるように献酌官長に希望を託しますが、忘れられてしまいます。

そんな不運な境遇にあっても、神はヨセフに十分な恵みを与えて下さっていました。ヨセフは次々と起こる悲惨な出来事に翻弄されず、人生を諦めない強さと忍耐をもって、心を正しく保ち、正しく歩み続けました

・ヨセフは悲惨な境遇にあっても、置かれた場所で精一杯生き、二人の主人に誠実に仕えました。主が共におられ、恵みを施し、何をしても成功させ、祝福してくださったので、ポテファルにも監獄の長にも信頼されて責任を任されるようになりました。
・ヨセフは誘惑に毅然とした態度を取って自分を清く保ち、神を畏れて罪を犯しませんでした
・ヨセフは、無実の罪で囚人とされた理不尽さにも、献酌官長に裏切られた時にも、恨まず、希望を投げ捨てず、自分のなすべき働きを継続しました。

Ⅰペテロ2:19~20
人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。・・・善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。

ヨセフは、神に信頼し、将来に対する神の目的に期待していたのでしょう。神に従う人は、悲しみ・苦しみを通るかもしれませんが、その中で忍耐し、正しく生きることを神は喜ばれます。試練を通るのは、神が将来その人を用いるための訓練であるかもしれません。

神の訓練の目的

 17歳までのヨセフは資産家の坊ちゃんとして甘やかされ、兄たちにも傲慢な態度であったと思われます。13年間の逆境の中で神はヨセフを訓練され、エジプトの統治者にふさわしい人格者に作り変え、エジプトとイスラエル民族を救うという大役のために備えておられました。

へブル12:10~11
 ・・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヤコブ1:2~4
 さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているのです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

ヨセフは、いくつもの不当な苦しみを通りました。そのたびに神に対する信仰が試されましたが、ヨセフは忍耐を働かせ、逆境の中でも神の前に正しく歩み、上に立つ者に忠実に仕え、完全な者を目指して成長し続けたのです
信仰者が数々の苦難を通らされるのは、神様がご自身の計画と目的のために、主権を持って導かれているからです。神の使命を託された人は、試練を通り、その中で信仰的・人格的に成長し、癒やされ、自分も祝福され、人を祝福する者へと変えられます

ヨセフを支えたもの

① 神の御計画に対する信頼

神はアブラハムを祝福し、子孫を海の砂、空の星のように増やし、子孫によって国々の民を祝福し、敵の門を勝ち取ると約束されました。その約束は、イサク、ヤコブへと引き継がれ、ヨセフもその子孫として、諸国の民を祝福する者になるという使命をヤコブから聞かされていたことでしょう。

アダムが罪を犯して以来、神は人類を滅びから救い、神の国に取り戻す計画を進めておられました。神はそのご計画の中でヨセフを生かし、導いておられたのです。
ヨセフは、今は神の御計画を知ることができないが、すべては益とされると信じ、瞬間、瞬間、自分の命と人生を御手に委ねたことでしょう。神の計画は良いものであり、神のなさることはすべて時にかなって美しく、神のなさることに失敗はないと、ヨセフは確信していたに違いありません。

② 神の約束から来る希望 

神はあらかじめヨセフに、「兄弟たちが自分を伏し拝む」「父母と11人の兄弟が自分を伏し拝む」という2つの夢を見せ、その夢によってヨセフを支えておられました。
ヨセフはその夢の意味が具体的にはわからなくても、神には目的があり、自分には使命が与えられていると信じ、神の約束・神の目的は時が来れば実現すると、神に信頼し、希望を持ったことでしょう

ローマ5:3~5
・・・患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ヨセフは理不尽な待遇に忍耐し、試練を経て品性が練られ、人格が整えられ、偉大な指導者として成長することができました。神はヨセフが希望を持ち続け、兄たちとの和解を成し遂げることができるように、夢によって支え、聖霊によって愛を注いでおられたのです。

③ 遜る者に与えられる神の恵み

かつて父親に溺愛され、うぬぼれていたヨセフは、売られて奴隷として主人に仕える中で低くされ、謙遜な者に変えられました。そしてエジプトの指導者にまで高められ、敬われる者となりました。

Ⅰペテロ5:5~6
 ・・・みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
マルコ10:43~45
 ・・・あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
ピリピ2:6~9
 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

自分を無にして奴隷として仕え、後に支配者に高められたヨセフは、神のしもべとして死なれ、王の王として再臨されるイエス様を予表しています。

2 新しい使命、新しい人生

30歳の時、ヨセフに転機が訪れました。時が満ち、神のご計画が進展したのです。

ヨセフは監獄から解放されてパロの夢を解き明かし、7年間の豊作の後に7年間の飢饉が襲うので、備えるようにと進言します。そしてい、パロから「神の霊の宿る、聡くて知恵のある者」と認められ、30歳で全エジプトの支配者に抜擢されます。今やエジプトを救うという重大な使命が与えられたヨセフは、全土を巡回して飢饉に備えさせました。

新しい身分、エジプト名、エジプト人の妻を与えられ、エジプトのことばを話し、エジプト人として生活する新しい人生が始まりました。そして二人の息子、マナセとエフライムが誕生(41:51,52)しました。息子たちの名前に、ヨセフの決意、心情、新しい人生の目的を見ることができます。

マナセ…忘れることの重要性 

長男のマナセは「忘れる」という意味で、ヨセフは「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」と告白しています。実を結ぶ者となる前に、妨げとなる過去を忘れる必要があります。新しい人として生きるために、古い自分と決別します。「マナセ=忘れる」という名前に、もう昔の自分には戻らない、新しい人として生きるというヨセフの決意が表されているようです。

・全ての労苦
 奴隷、囚人時代は終わりました。兄の仕打ち、奴隷生活、主人の妻に陥れられ、無実の罪で投獄されたこと、牢獄生活、献酌官に忘れられたこと。他人のすべての悪事、悲惨な出来事、不幸な記憶、過去の体験に縛られず、悲しみ・恨み・怒り・失望を手放し、古き悪しき過去を忘れ去ります

・父の全家
 ヨセフはヤコブの最愛の妻ラケルの息子で、父に偏愛され、兄たちが父のしもべたちと一緒に野で羊を飼っている時も、綾織りの長服を着て父のそばにいました。ヤコブの子・ヨセフは、家族にとってはもはや死人です。亡き母とも弟ベニヤミンとも、父・兄たちとも、二度と会うことはできません。故郷での生活、父の仕事、すべての思い出も過ぎ去りました。

ヨセフは今、エジプトの指導者となり、国家の存続がヨセフに委ねられています。故郷に帰るという自分の願いを手放し、新しい人として生きる決意をして、新しい人として行動しなければなりません。過去の記憶と感情を引きずって生きるのではなく、過去を忘れて未来に進み出すのです。

エフライム…神にあって実り多い者になる

次男のエフライムは「実り多い」という意味で、ヨセフは「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」と告白しています。ヨセフはエジプト支配者の地位は神から与えられたと悟り、7年間の凶作・飢饉に備え、世界を祝福することを神の使命として受け取ったことでしょう。「エフライム」という名前は、豊かに実を結ぶ者となってエジプトを救い、祝福するという使命とビジョンを込めた、ヨセフの信仰告白と言えるでしょう。

・エジプトを救う
エジプト存続はヨセフにかかっています。ヨセフは豊作の7年間に多くの穀物を蓄え、飢饉の時にそれを放出してエジプト人を養い、周辺の国々にも食料を供給しました。

イスラエル民族を救う
カナンの地に住むアブラハムの子孫・ヤコブ一族の生存もヨセフにかかっていました。神はアブラハムの子孫を通して諸国の民を祝福する――イスラエル民族から救い主を生み出し、永遠のいのちをもたらし、世界を滅びから救う――と約束されていました。将来のメシアによる人類救済計画を実現するために、イスラエル一族の存続がヨセフに託されていたのです

ヨセフは過去を忘れて新しい使命とビジョンに生き、祝福の実を結んだのでした。

3 癒しと関係の回復

豊作の7年間が過ぎ、飢饉がエジプトだけでなく全世界に及び始めます。ヨセフがエジプト指導者とし重大なプロジェクトに全力で取り組んでいるその時、カナンの地も飢饉に見舞われ、ヨセフの10人の兄たちが穀物を買うためにエジプトを訪れました。そして目の前のエジプトの支配者がヨセフであるとも知らず、伏し拝みます。これによって、最初の夢が実現しました。
兄たちと22年ぶりに再会したヨセフの心には、嬉しさ・懐かしさと同時に、兄たちに捨てられた悲しい記憶、奴隷時代や投獄時代の辛い記憶が蘇り、複雑な思いが駆け巡ったことでしょう。

この再会はヨセフにとって、過去を清算し、家族を取り戻して祝福するための最大のチャンスでした。ヨセフは父と弟の安否を確認後、兄たちがスパイであると言いがかりをつけ、シメオンを人質に取り、ベニヤミンを連れて来いと命じ、食料を与えて帰らせました。

兄たちはベニヤミンを連れて再びエジプトを訪れ、11人兄弟がそろってヨセフを伏し拝みます。
ヨセフは食糧を売って11人を送り出しましたが、策を弄して連れ戻し、ベニヤミンに盗みの罪を着せて奴隷にすると迫ります。それは、ヨセフがいなくなった後、兄たちは悔い改めたのか、弟や父にどんな態度を取っていたのか、兄たちを試して知るためでした。
ユダは父を気遣い、ベニヤミンの身代わりに自分が奴隷となると懸命にヨセフに訴えます。その様子から兄たちの悔い改めを察知し、ヨセフは堪え切れなくなって、正体を明かします。

 創世記45:5、7、8
 「私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。…大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」

ヨセフは、ヤコブ一族を飢饉から救うために、神が予め自分をエジプトに遣わしたのだと説明しました。すべては神の御計画であり、神がアブラハムの子孫によって国々の民を祝福するためなのです

ヨセフは、神の御計画のために自分の人生が用いられたと明確に理解し、完全に癒やされ、解放されていました。兄たちに裏切られたヨセフは、恨みや怒りを持ち続けず、郷里に帰るという自分の願望に執着せず、神の御心を成し遂げるために過去を忘れ、家族を手放しました。

すると今度は、神がヨセフを癒やし、兄たちとの関係を回復させ、家族を取り戻させてくださいました。父ヤコブと親族たちが揃ってエジプトのヨセフのもとに来て養われました。父の死後、兄たちは心からヨセフに謝罪し、イスラエル12部族として絆も強まり、イスラエル民族は増え広がり、強くなっていきました。

マルコ10:29、30
 わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者でその100倍を受けない者はありません。今この時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

4 私たちに対する神の御計画と目的を知る

ヨセフの人生には、「神の目的と計画に備えるための苦難の中での訓練の時」、「新しい人として、神から与えられた新しい使命のために働く時」、「過去から癒され、失ったものが回復される時」という3段階がありました。神様は私たちに対しても、御計画を持って導いておられます。

試練には訓練という神の目的がある

ヨセフの激動の人生には、神の御計画に基づく神の目的がありました。神はヨセフをエジプトへ送り、訓練し、使命を与え、ヤコブ一族を養う準備をしておられたのです。

神を信じる者には、苦しみの中にも神が共におられ、神の愛が注がれています。神は、試練の中で忍耐し、正しく生きる者を神の子と認め、引き上げてくださいます。そして、人生における神の主権を認め、受け入れ、神を信頼する者を、永遠の御国にふさわしい、キリストに似た者へと作り変えてくださるのです

私たちの新しい身分と使命

クリスチャンは、キリストに出会い、真理を知り、罪赦されて救われ、自由にされました。
「罪と悪魔の奴隷・囚人」から解放され、「神の子」という新しい身分を与えられて、キリストと御国の支配下に移されました。かつては罪ゆえに呪われ、病や人間関係に苦しみ、死の恐怖に繋がれ、裁きに怯えていましたが、もはや罪人・奴隷ではありません。

古い人は死に、私たちは神の子として新生しました。救いの完成を目指して前進し、どんな境遇でも神の平安の中で心満たされて生きる者、与えられた立場や賜物や時を生かして福音を証し、人に仕え、祝福する者とされました。

実りある人生のために

マナセ「忘れる」とエフライム「実り多い」を教訓にしましょう。

① 自分の心を守り、健全に保つ

箴言4:23
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

過去の辛い体験、苦い経験を忘れ、こだわりを捨てることができたら、精神的な病にはかからないと言われます。失敗体験から来る挫折感・恥・恐れ、人間関係から来る傷・悪感情などから解放され、人と自分を赦し、主の癒しを受け取ることができますように。自分の心を治め、苦い根に悩まされず、神の平安に満たされ、人間関係と社会生活において豊かな実を結ぶことができますように。

② 恥と苦しみを耐え忍ばれたキリストに倣う

Ⅰペテロ2:21~24
 キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにとあなたがたにも模範を残されました。…罪を犯したことがなく、何の偽りも見いだされませんでした。…正しく裁かれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは癒されたのです。

人の悪を思わず、正しく裁く神に任せるのは、癒やされ、回復されて実を結ぶ者となるためです。主の足跡に従い、古い人に死に、新しい人として実を結ぶ生き方を選ぶことができますように。

③ 与えられた立場、賜物、時を生かして用いる  

キリストを知る以前には恐れに縛られ、罪に支配されていたとしても、今や、私たちはキリストと共に環境と状況を支配する者になりました。主の約束の御言葉を握り、将来与えられる祝福を期待し、人を赦し、愛し、祝福し、善を行い、仕え、祈り、福音を伝え続けましょう。

マタイ25:21
 よくやった良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな者に忠実だったから、わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。

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