主の御衣から流れ出る恵み・長血の女に注がれたキリストの愛

キリストの心
ふさに触る長血の女
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マルコ5:25~34 長血の女 (ルカ8:43~48、マタイ9:20~22)

今日の箇所は、イエス様の着物にさわって癒された長血の女の物語です。

病気の痛みや辛さは、他の人には理解してもらえない苦しさがあります。
私たちも、イエス様は癒し主、癒されることは神様の御心だと信じて祈っているのに、なかなか癒されない時は本当に辛いものです。
「自分には信仰が無いのだろうか、祈りが足りないのだろうか」と悩むこともあります。人に説明してもなかなか分かってもらえない、説明することも疲れてしまう、むしろ、「あなたに罪があるから癒されないのだ」と、責められているような思いになるかもしれません。

この女性はイエス様にお願いもせず、手を置いて祈って頂くことも、お言葉を頂くこともありませんでしたが、「お着物のふさにさわることでもできれば、きっと治る」と考え、その信仰を実行して癒されました。そしてイエス様は、「あなたの信仰があなたを治したのです」と女性の信仰を評価されました。

「イエス様のふさを触ると癒やされる」と信じたことは、イエス様はメシアであると信じたことを示しています。この女性は、自分の思い付きや思い込みでふさを触ったのではありません。そこには御言葉に基づく信仰があったのです。

またこの女性は、ただ病気が癒されただけではありませんでした。イエス様は肉体の癒し以上に素晴らしい祝福を与えてくださいました。女性が抱えていたすべての問題にふれ、解決と解放の道を開いて下さったのです。

この箇所から、イエス様の完全な癒しと回復について分かちあっていきましょう。

まず、女性の置かれていた状況と女性の決断について確認します。
次に、女性の信仰の本質と癒された理由を探ってみます。
最後に、イエス様が与えて下さった恵み、問題の根本的で完全な解決について考えます。

マタイ、マルコ、ルカの福音書がこの女性の物語を記録しています。マルコの福音書を中心に読みます。

マルコ5:25~34
5:25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
5:26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
5:27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。
5:29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
5:30 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
5:31 そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
5:32 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
5:33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

1.女性の置かれていた状況と決意

① 絶望的状態 

この女は、12年間も長血を患い、痛みに苦しんでいました。

29節に「ひどい痛みが治った」とありますが、長い間、肉体的に激しい苦痛に耐えていました。そして、26節を見ると、「多くの医者にひどい目に合わされ、持ち物を使い果たし、何の効果もなく、かえって悪くなる一方だった」とあります。

今度こそは、と医者に通ったものの、少しも癒されず、かえって悪化し、痛みは強くなり、どんどん状況は悪くなる。いつも期待が裏切られ、財産を使い果たし、癒される見込みもない。もしかしたら、弱みに付け込まれ、医者にお金を巻き上げられたかもしれません。誰も助けてくれず、仕事もできず、経済的にも破綻し、生活の手段も無い。心はさんざんに傷ついていたことでしょう。

そのうえ、律法によると長血の患者は汚れているので、人と接触することができません。汚れた人が触ると、触られた人も汚されてしまいます。ですから、他の人と親しく交わることができません。
未婚であったら、結婚することができません。そして、もし結婚していたとしても、子供ができなければ、離婚させられてしまいます。当時の女性にとっては、まさに死活問題です。

この女性は汚れた者として忌み嫌われ、共同体から疎外され、見捨てられ一人ぼっち、12年間の孤独です。人間関係と社会生活が破壊されていました。

② イエス様に希望の光を見た

肉体的苦痛、孤独、経済的困難、もう全く希望が無い。そんな状況で女性はイエス様のうわさを聞きました。「イエス様は権威をもって御言葉を教え、多くの病人を癒し、力ある業を行われる。」

他の福音書を見ると、この時までにイエス様は、ツァラアト(重い皮膚病)の人、中風の人、38年間も寝たきりだった病人を癒し、ナインでやもめの息子を生き返らせ、ガリラヤ湖で嵐を静め、悪霊につかれた人から悪霊を追い出していたことがわかります。ツァラアトは、メシアでなければ癒せないと言われていました。

律法学者やパリサイ人は、メシアでなければ行えないはずの癒しや奇跡を見ても、イエス様がメシアであることを否定し、悪霊の頭・ベルゼブルの力で癒したのだとけなしました。

長血の女は、群集の中に入ることはできませんから、おそらく噂を聞いていたのでしょう。そして、「この方は待ち望んでいたメシアかもしれない。イエス様なら私の病を癒すことができる、イエス様だけが癒すことができる」と考え、唯一の希望の光をイエス様に見出だしたのでしょう。

③ 癒されるための女性の決意と行動

マルコは、この女性は「イエス様のお着物にさわることでもできれば、きっと直る、と考えていた」と書いていますが、ルカとマタイは、女の触った場所は、衣の「ふさ」であったと記しています。

ルカ8:43~44
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。
マタイ9:20
すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。

女が触ったのは、着物の四隅にある「ふさ」でした。これは、ユダヤ人男性の着物のすそにぶら下がっている、ツィツィヨットと呼ばれる飾りふさのことです。女はイエス様の上着の「ふさ」に触るなら癒されると信じました。そして実際、触った瞬間に癒されたのです。 

 2.女の信仰の本質と癒された理由

当時ユダヤ人男性が着ていた「着物」と「ふさ」とはどんなものだったのでしょうか。

① ふさは「御言葉」と「権威」を象徴する

当時の上着は、現在私たちが着ているような、身ごろ・袖・襟などのパーツを縫い合わせた服ではなく、3m位もある長方形の1枚布でした。羊毛で織り、中心の穴から頭を出し、身体の前後に布を垂らして腰をひもで縛ります。神様の命令に従い、4隅にふさが付いていました。

民数記15:38~40
 イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。こうして、あなたがたは、わたしのもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたの神に聖なる者とならなければならない。

イスラエル民族は、ふさを見る度に神の戒めを思い起こし、聖なる神に選ばれた聖なる民として行動する決意を新たにします。

律法には613の戒めがあると言われていて、ふさにはその戒めを象徴する結び目があります。衣服のふさは神の御言葉を守っていることを示し、また、神に従う人の持つ権威を象徴していました。

マタイの福音書23:5には、偽善的パリサイ人はふさを長くし、結び目を大きくして見せびらかしていたとあります。自分が律法を守る義人であることを誇示していたのです。

ルツ記の中に、ふさのついた上着と権威との関係を見ることができます。

ルツはユダヤ人と結婚した異邦人の女でしたが、夫が亡くなった後も姑から離れず、イスラエルの神を信じ、姑のナオミと一緒にユダヤの地に戻って来ました。忠実な嫁のために再婚相手を探してあげようと考えたナオミは、ルツに作戦を授けます。親戚で有力者のボアズが麦の収穫を終え、打ち場で寝ている所に行って、足元をめくって寝なさいと命じたのです。

当時、寝具はありません。自分の来ていた上着を脱いで、毛布のように掛けて寝ます。ルツはボアズの上着をめくって、ボアズの足元、ふさの下に入って寝ました。

夜中にボアズがびっくりして目を覚ました時、ルツが言った言葉は、「あなたの覆いを広げて、このはしためを覆ってください(3:9)」でした。その意味は、あなたの権威の下に入らせてください、つまり妻となって、ボアズの守りと支配の下に入ることでした。

② イエス様のふさにふれると癒される根拠

長血の女はイエス様をメシアと確信し、権威の象徴であるふさに信仰を持って触れました。すると、イエス様から力が流れ出て、女は瞬間的に癒やされたのです。

では、「ふさに触ると癒やされる」という信仰はどこから来たのでしょうか。
マラキ書に根拠となる御言葉があります。

マラキ4:2
わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある
あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。

マラキは、旧約時代の最後の預言者です。マラキ書4章の預言を最後に、その後400年以上、神様からの御言葉は途絶えてしまいました。ユダヤ人たちはマラキの預言を握り、メシアを待ち望んでいました。

「わたしの名を恐れる」とは、アブラハム・イサク・ヤコブの神、イスラエルの神・ヤハウェの名を尊ぶこと、「義の太陽が上る」とは「救い主が訪れる」と言う意味です。マラキはメシア来臨を太陽が上ることに譬えました。御名を畏れる病人を救い主・メシアが癒されるという預言です。

イザヤもメシアを太陽に譬え、メシアが来ると悲しみから解放されることを預言しています。

イザヤ60:19~20
 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となりあなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。

マラキの預言した「義の太陽の翼には癒しがある」とはどういう意味でしょうか?
「翼」と訳された原語のヘブライ語は「カナフ」です。カナフは翼全体を表すのではなく、翼の風切羽の一番長い部分、ちょうど、上着のふさのように長くなっている部分を指します。またカナフには「ふさ」という意味もあります。

ですから、「翼に癒しがある」は「ふさに癒しがある」とも訳せます。「義の太陽が上り、その翼には癒しがある」という預言は、「メシアの権威によって癒される」という意味に理解できます。

③ 御言葉に基づいて信仰を実践する

長血の女性はイエス様のなさった癒しや奇跡の話を聞き、イエス様がマラキの預言した義の太陽、約束されたメシアであると確信しました。御言葉から信仰が沸き上がって来たのでしょう。

マタイ9:21
 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。

「考えていた」は、「言っていた」という意味です。女は口に出して信仰を語り、実行しました。

律法によると、長血を患っている人間は汚れているので、本来は群集の中に入ることはできません。イエス様の前に出て「癒やして下さい」と求める事も、手を置いていただくこともできません。
女は律法を犯してでもイエス様の権威に触れようと決意しました。

ふさは着物の一番下、地面に近い所にあります。女は身を低くして群集をかき分け、蹴飛ばされ、踏まれながら、人々の足の間からふさに手を伸ばしました。

マルコ5:29
 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。

イエスに近づき、後ろからイエス様の権威を象徴するふさに触れた瞬間、イエス様から癒しの力が流れ出て、すぐにひどい痛みが引き、女はたちどころに癒されました。イエス様をメシアと信じて行動した女性の信仰を、神は見逃されませんでした。

3.女性に与えられたイエス様の完全な恵み、癒しと回復  

女性が「治った!」と悟った瞬間、声がしました。「誰がわたしの着物にさわったのですか?」
イエス様はすぐに、ご自分から力が出て行ったことに気づきました。イエス様は女の方に向き直り、ゆっくりと人々を見回しています。

「大勢があなたを取り囲んでいるのです。みんなイエス様にさわっていますよ。」
「いや。誰かがわたしにさわった。わたしから確かに力が出て行ったのだ。」

マルコ5:33
女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
ルカ8:47
女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。

逃げることの出来ない女は、隠しきれないと知ってひれ伏し、全てを正直に語りました。
12年間長血を患っていたこと、どんな医者も癒すことができず、財産を使い果たし、絶望していた時、イエス様の噂を聞いて、この方こそメシアに違いないと思ったこと、マラキの預言にあるように、ふさに癒しがあると信じてさわったこと、そして、さわった瞬間、癒されたことです。

群集にどよめきが起こり、さっと女から身を引いて離れた事でしょう。
「この女、汚れた身で私たちの中をかき分けてここまで来たのか!?」
「汚れた女が律法を犯して、イエス様にさわったのか!?」
主の前に一人取り残された女は怯え、震えていました。律法を犯し、大勢に触ってしまったのです。
イエス様に何と非難され、群集に何をされることでしょう!

マルコ5:34
そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よあなたの信仰あなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

イエス様はこの女性に対し、病気の癒し以外に5つのことをして下さいました。

① 無条件の受け入れ「娘よ」

 イエス様は「汚れた女」とは呼ばず、親密さと愛情が込めて「娘よ」と呼びかけて下さいました。「あなたもアブラハムの娘、私たちイスラエル民族の家族です。」
主は優しく言葉をかけ、それまで汚れた者として社会から締め出されていた女性を無条件に受け入れてくださったのです。それによって女の傷ついた心が慰められたことでしょう。

② 女性の信仰を評価、尊厳を回復

あなたの信仰があなたを治した。」
イエス様は群衆の前で、女性の信仰が癒しの力を引き出し、癒されたのだと証言して下さいました。人々から蔑まれ、価値がない人間として見放されていた女性に、「あなたには、他の人とは違う本物の信仰がある」と評価してくださったのです。
そして、自分が尊い存在であることを女性に気づかせ、女性の傷ついた自己像(アイデンティティ)を回復して下さいました。神の選びの民・信仰の子孫としての尊厳を取り戻させ、励ましてくださったのです。

③ 癒しの宣言、人間関係の回復、社会への復帰 

「あなたの病は癒された。あなたはもはや汚れていない。」
主が癒しを宣言されたので、誰もこの女性を汚れた者と拒否し、締め出すことはできません。これから女性は逃げ隠れせずに自由に人と交わり、共同体の中で普通に生活することができます。

汚れた者として隔離され、隠れて生きる孤独な生活から社会復帰し、イスラエル社会の一員として生活を立て直すことができます。もはや一人ぼっちではありません。イエス様は、この女性が人間関係を回復し、人生をやり直すことができるように取り計らって下さいました。

④ 罪の赦しを宣言、罪責感からの解放

 主が「誰がわたしにふれたのか」と質問されたのは、女性の行動を責めるためではありませんでした。群集の前で告白させたのは、女性の罪責感を取り除くためでした。もし女がこっそり帰っていたなら、身体は癒されても、律法を犯したという心の責めを感じ続けたことでしょう。せっかく癒されても、喜んで証しできなかったことでしょう。

イエス様は女性に自分の行動を告白させ、「安心して帰りなさい」と言われ、「わたしはあなたを責めない」と示されました。律法を犯した罪を赦し、裁きを取り消して下さったのです。

イエス様が責めないのに、誰もこの女性を律法で裁くことはできません。
主の恵みが律法を超越し、主のあわれみが裁きを無効にしました

⑤ 祝福

「病気にかからず、すこやかでいなさい。」イエス様は、霊・魂・肉体全ての健康、健全な人間関係と社会生活、そして生涯を通して健やかであるようにと祝福してくださったのです。

長血の女がイエス様をメシアと確信し、御言葉を握り、信仰をもって主の権威の下に来た時、主の御衣から恵みが流れ出て、肉体の病気が癒されました
イエス様が女性を無条件に受け入れ、愛で包んで下さったので、傷ついた心が癒され、自己尊厳と神の民としてのアイデンティティを取戻すことができました
イエス様が赦しを宣言されたので、律法で裁かれることなく社会の一員として生きることができるようになり、失われていた人生を取り戻すことができました。

これが、イエス様が長血の女にして下さった完全な癒し、救い、解放です。

 4.主の恵みを証する福音伝道の力

この女性は、身体の病だけでなく、精神的・人格的にも癒やされ、共同体の一員として回復されましたが、主の恵みはそれだけではありませんでした。
その後この女性は、癒されたことを喜んで証したことでしょう。あるいは、この女性の話が伝えられたことでしょう。マタイ14章にそのように推測できる記事が書かれています。

マタイ14:34~36
 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた

多くの病人がイエス様のふさをさわって癒されました。この女性が癒された証を通して福音が伝えられ、多くの人がイエス様を救い主と信じて恵みを受けることができたのです

私たちの人生にも、病気や様々な問題で苦しみ、傷つき、希望を失いかけることがあるかもしれません。けれども、謙って主の下に来る人を、イエス様は受け入れ、御衣で覆って下さいます。
主の権威の下に身を寄せ、イエス様の衣のふさにふれる時、神の恵みが溢れ流れるのです。

私たちの苦しみも、主の御手に委ねるなら、人々を祝福するために用いられます。主の恵みが私たちを通して流れ、人々を救い、祝福することができますように!

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